音楽について

よしのせい「バンド時代からThe Everly Brothersスタイルで2人でギター持って歌い倒すっていうのがずっとやってみたかったんです。」


「Momo-Sei / umareta」10年ぶりのリマスター再発記念で、平成を駆け抜けた稀代のメロディメイカー二人の最強タッグに直撃インタビュー!前歴時から何かと気になってた事にめちゃくちゃ丁寧に答えてもらえました。第一部「音楽のこと」と、第二部「よしのももこさんの本と二人の島生活について」に分けたのですが、きっとミュージシャンなら作曲の参考になったり、ファンならなるほど~って思うことや、現在の島生活での面白いことなど満載で、ジャンルを超えて沢山の方が楽しめるであろう永久保存版と思います。

(聞き手:タイムボム・レコーズ代表 こだま)


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目次

 

 始めたきっかけ

 —お二人とも前歴が凄いですけど、いつからどんな経緯で一緒にやり始めたんですか?

よしのももこ(以下M):どうでもいい話のわりにぜんぶ話すと長くなりますけどいいでしょうか?

 —手短にお願いします(笑)

M:頑張ります。えーと、ソングライターズチームを組んだきっかけはツイッターです。わたしは29歳のときに作曲も演奏もスパッと全部やめて、つくった曲のこともすっかり忘れて生活していました。だいぶ経った頃に急にツイッターを始めて、なんの気なしに「前につくった曲のこととかちょっと書いてみるか?」といくつかツイートしてみたら、そのことについて言及している聖さんのアカウントがわたしのタイムラインに突然あらわれたんです。

よしのせい(以下S):誰かのリツイートやったと思うんですが、たまたまよしのももこさんのツイートが僕のタイムライン上に流れてきまして、たどって読んでみたら面白いことこの人言うたはるわ、と。曲をつくる人はこういう頭ん中になってるんやな〜とか思いながら、あんまり話したことはなかったのですが勝手にフォローしました。

M:ツイートにもそんなようなことが書いてあって、もちろん現役時代から「プレイメイツの聖くん」の存在は知っていたのですが、まさかわたしを「曲をつくる人」として認知してくれているとは思いもしなかったので驚きました。それで聖さんのしていることにちょっと興味が湧いたのでYouTubeで動画を検索して、2000年代に入ってからのライブとかをいくつか観てみたら歌唱も演奏も何だかとてもよくて、もしかしたらわたしは「プレイメイツの聖くん」についてとんでもない思い違いをしていたのかもしれないな…と。それまでわかってなかったんですよ。知ってはいたけど、出会ってなかったというのか。

S:僕はももこさんのCD買って愛聴してたし、普通にミュージシャンとして認識してました。

M:いまだにそれはちょっと信じられないです。話盛ってるんじゃないのかなって思っているんですけど。で、あのー、わたしが現役のときにやりたかったけどできなかったことっていうのが「自分と同じだけの熱量で歌う人と思いっきりハモる」ことと「自分と同じくらいガチで作曲してる人との共作」で、まあ要はジョンとポールなんですけど、それはどこかの時点であーこれたぶん無理なんだなって諦めていたんですね。だけど動画で聖さんの歌を聴いていて、あれ? これがその人では?? となったんです。それで単刀直入に「いちど一緒に歌ってみたいです」って連絡を取りました。

S:僕もバンド時代からThe Everly Brothersスタイルで2人でギター持って歌い倒すっていうのがずっとやってみたかったんです。相手が全然いなかったんでやれなかったっていうだけで。だから連絡もらったときは嬉しかったです。

M:そのときはすぐ「ぜひぜひお願いいたします〜」みたいな返事がきたんですけど、鼻歌集みたいなデモテープを送ったらそれっきり3か月くらいパタッと連絡が途絶えちゃったんです。

S:(笑)

M:ああ、デモがピンと来なかったのかな、だったらまあ仕方ないな、ってそのままにしていました。だって、ピンと来てないのに無理に組んでもつまらないですからね。そしたら忘れた頃になって連絡が来ました。「連絡遅れまして申し訳ないです〜デモテープ素晴らしかったです〜」とかいって。時差3か月ですよ! 遅れるとかいうレベルじゃない。

S:うふふ。

M:今ならわかるんですよ、「返信」が極端に苦手な人なんだということが。でも当時は勝手な人だな、振り回されないようにしないとな、って思っていました。そのあと会う約束をしてからは比較的連絡もつくようになって、実際にいろいろ話したり、井の頭公園で聖さんのアコギに合わせて「せーの!」で歌ってみたりしたら、もう一緒にやることになっていました。

 —二人でライブもよくしてたんですか? 地方でも?

S:ライブっていうほどではないんですが、人前でも演奏はときどきしてました。

M:友達の家とか、知り合いの働いている幼稚園のイベントとかで歌うことはありましたけど、組んだばかりの頃はひたすら曲づくり大会ハモり大会をしていたという感じです。

 リリース物のこと

 —「umareta」以前にソロ名義や二人名義でギター弾き語りのデモCD-Rを数枚出してますが(今回の再発CDにボートラでセレクト6曲収録)リリースのきっかけは?

S:僕はもう作った経緯とか全く覚えていないのですが、たぶん何か演奏する機会があってその時に物販として作ったんじゃないかと思います。

M:わたしも覚えていないです。お互い新しい曲もどんどんできるし、わたしはとにかくブランクが長かったので曲を作って歌えることがただただ楽しくて。それを記録として録ってた感じかなあ? 自分たちがそれぞれの家で聴きたいから録るみたいな。

S:僕ら世代の人間はバンドを組んだらまず最初にやることのひとつがデモテープを作ることで、それを知人に聞いてもらったりライブ会場で販売したりっていうのがあったので、2010年代のMomo-Seiもその感覚のままデモCD-Rを作ったんじゃないですかね。

 —そのデモ曲をベースに、エレキギター、ベース、パーカッション系を多重セルフ録音して、アルバム「umareta」を発表(CD、配信)してますが、その経緯、心境は?

M:記録することの延長がアルバムになったっていう程度のことだったと思うんですが、どうだったかなあ? もう昔のこと過ぎて忘れました。

S:どうしてリリースしたかっていうのは確かに全然覚えてないです。でも同じことの繰り返しになるんですけど、僕ら世代はデモテープをつくった後にやることの一つにアルバムを作るというのがあったので、やっぱりその通りにやったという感じですかね(笑)

M:心境、というほどのことかはわからないのですが、わたしは現役時代の特に最後のほうは手癖というか小手先でやれてしまっている感じがあって、それがいったん全部やめたことで全部リセットされて本当に再び生まれたばかりみたいな状態だったので、演奏も歌もとにかく無我夢中でした。あれはあれであのときのベストを尽くしていると思いますが、今の耳で聴くとよそゆき感が丸出しで少しこちょばいです。

S:今聴くとずいぶん地味なアルバムだなと思うんですが、よくたくさんの人が聴いてくれたなーと思います。

M:確かに地味だよねえ。

S:そう、どこがと言われると難しいんやけど。地味な気がします。

M:地味だから良くないとかではなくて。そういえばわたし、「もしかして聖さん今はこういう水墨画みたいな曲を作るモードなのかな」って思ったことありますよ、あの当時。

S:当時はそれで良かったんですが、今の2024年のというか53歳の自分の耳で聞くともう一度歌い直したい演奏し直したいなって思う曲はいっぱいあります。当時の気分ならああなるだろうというのはわかるんですが、今の気分とはちょっと違うかなという感じです。

M:あのときはふたりとも今よりくたびれていたのかもしれません(笑)

 —レコーディングは(ジャケイラストの)4トラ・カセットMTRとクレジットにありますが、懐かしい機材ですね。宅録ですか?

S:そうです。ジャケットに描いてあるカセットMTRで録音しました。

M:ソングライターズチームを組んでから知ったんですが、ふたりとも若いときからカセットMTR宅録野郎だった、っていう共通点があったので当たり前のようにカセットMTRが家にあったし、ふたりとも当たり前のように操作ができたんです。わたしの実家に演奏好きの父がサックスなどを吹くためにつくった防音室があったので、「umareta」の録音もドラムなど大きな音のものはそこで録りましたから宅録というのはちょっと違う気もしますけど…

S:いや宅録でええんちゃうかな(笑)

M:宅録でいいのか別に(笑)

 —既存レーベルじゃなくて自主DIYリリースした意図は? たくさん声かかったんじゃないですか?

M:わたしが作曲や演奏をスパッとやめたとき、「もう二度と2ちゃんねるにスレ立てされないくらいまで忘れ去られたい」という切なる願いがあったんです。わりとそれは達成されていましたから、声なんかひとつもかからなかったですよ。

S:僕にも特に声はかからなかったです。

 —その自主制作のCDが即完したり、当時にしては早い?「配信」も話題だったようですが、反応どうでした?

M:わからないですけど、そこまでは反応なかったような気もします。

S:僕もリリース当時はあまり反応ないと思ってたんですが、今こうやって10年経って振り返ってみるとみんなよく買ってくれたしダウンロードもいっぱいしてくれたなーという気がします。

M:確かに300枚だか350枚だかCD盤が数か月で売れるなんて、今じゃ考えられないですもんね。

S:あの頃は僕らもやっぱりまだ、飛ぶように音源が売れていた時代の感覚を引きずってたんじゃないですかね。

M:90年代は、桁が何千枚とか何万枚とかになってしまっていたので、感覚が狂ったままだったのかもしれないです。

 再発について


 —10年前の作品を突如再発希望って言われて変な感じでした?「今頃?」って?(笑)

S:すごく変な感じではあるんですけど嬉しかったですよ。

M:確かに「え、今?」って驚きましたけど、そうですね、わたしもとても嬉しかったです。というかこれ、こちらからも質問したいんですけど、こだまさんはどうして10年前のアルバムを再発しようってなったんですか? 経緯というよりも、こだまさんの中で何がどう作用してそんなことになったのかが知りたいです。

 —聖君の神戸ライブに行ってたホンちゃん(ザ・バニーズ)が物販で買ってきてくれたのを新譜と勘違いして(笑)ドキドキしながら聴いて1曲目の「グレープフルーツ」一発で気に入りました。その後調べたらなんと10年前の自主作品だと(笑)。しかも自分で聖君とやり取りしてウチの店でも売ってたと(笑)

S:僕らもそれは覚えてなかったですからね。

 —物忘れも歳なのでしゃあないかと(笑)。僕は昔から「古い音楽でも初めて聴いたら新譜」って温故知新的、イイもんはイイって感覚で。

M:あ、それはわたしも同じです。出会ったときがいつでも、そのときの新譜という感じ。

 —長年レコ店してたら思いますが、世の中には膨大な曲があって、多分世に出てる8割以上の曲を聴けていない中で死ぬまでにたくさんのイイ曲と出会いたいなと。今だに80年前の音楽でもワクワクしながら楽しめてる日常なので10年前なんてつい最近な感覚で(笑)。家族旅行のドライブ中とかずっとかけてて嫁娘も気にいるし、歌うし(笑)、通しで何回聴いてもカッコイイし飽きないし。こんなイイもんが埋もれてるんなら是非色んな人が聴くべきと思って再発したいと思った次第です。

M:そういう時空を超えるものになっているのならよかったです。そういうものを作っている自覚はあるけど、できてるかどうかは自分ではわからないので。曲を作って歌うまでがわたしたちの役割ですから、あとはそれを聴いて「これはもっといろんな人が聴くべき」と思った人がレコードにして広めてくれるのが一番自然なことだと思います。それが10年後かもしれないし、100年後かもしれないし。

 —多分ボクみたいに当時手に入れることができなかった、聴けなかった方も多かったと思うんですけど、再プレスをしなかった理由ってあるんですか?

S:さっきも言ったように僕はこのアルバムの内容が地味だと思っているので、再発するパワーがあったらそのパワーを使ってもっと今の気分に合ったものをつくりたかったです。

M:あと、単純に要望の声がなかったんですよ。盤は100枚くらい余分にあったんでジャケを増刷すれば追加もすぐできたんですけど、してくれって言う人が特にいなかったので再発はしませんでした。

 —「umareta」の冒頭曲「グレープフルーツ」。超シンプル、メロディアスでかっこいいロックンロール具合が大好きです。何回聴いても飽きない。コード進行教えてください(笑)。プレイメイツ期からライブでよく演ってたと思いますが、未発表にしてたのは何故?

S:コードは簡単なので耳コピをおすすめします (笑)。たぶんプレイメイツ結成当時に演奏してた曲だと思うんですが、その後すぐに英詞に変わっていったので…グレープフルーツは日本語詞だったのでもうどこかの段階で演奏されなくなりました。

M:英語の歌詞を付け直そうとか思ったことは?

S:なかったです。曲調も90年代初頭だと僕はAlex ChiltonとかBig Starとかにとても影響されていて、グレープフルーツはその感じが露骨に出てる曲のような気がするんですが、その後プレイメイツは50 年代60 年代のロックンロール色が強くなっていったので、そういう意味でも簡単にボツにされちゃいました。

 —この曲、R&Rの歴史に残すべく(個人的にも好きな)7インチでもリリースさせてもらいます。シングルで聴くイメージって勝手に思うんですが、ご本人の感覚は?(笑)

S:うーん、そうですね、正直なことを言ってしまうと「umareta」の中で録音し直したいなと思っている曲の一つです(笑)

M:だいぶ正直なことを言ってしまうんですね(笑)

S:でもいい曲だと思いますよ。

M:チームを組んで間もない頃、聖さんが自宅でギター弾きながらこの曲を歌ってスマホで録ったものをメールで送ってくれたんですが、それを聴いたとき、とっても素直でいい曲だなってわたしも思いました。

 作曲について


 —「グレープフルーツ」以外も全曲100年後でも不滅ぽい曲ばっかですが、何回も聴いてるうちに「あ、これビートルズと一緒系でずっと聴けるやつや」って気づきました。やっぱビートルズの作曲方法とかって参考してたり? ジョン派? ポール派? ジョージ派?

M:そもそも流行りすたりのレールに乗れてない曲しかないですからね…わたしのも聖さんのも。ビートルズみたいな曲をつくろうと思ったことはないんですが、ビートルズほど夢中になって聴きまくったバンドっていうのが他にないので、バンドで曲をやるっていうのはああいうものだと刷り込まれてるのはあるかもしれません。

S:僕は作曲法とか演奏法、歌唱法とかもですけど、ビートルズをお手本にって言うよりはビートルズ以前のロックンロール、ビートルズのメンバーが子供の頃に熱狂しまくってたであろう音楽を参考にすることが昔から多いです。で、今もやっぱりビートルズ以前の音楽の方が参考にすることは多いです。

M:わたしもビートルズっぽい曲がやりたいとかじゃなくて、彼らがああいうふうに音楽をやるに至ったルーツのほうに興味があったっていうか…どんな街で何食べてどう育ったらこうなるんだ、みたいな。

S:あ、あと僕はジョージ派です(笑)

M:ふふ。わたしは10代の頃はジョンに夢中でした。30代になって、そんなこともすっかり無かったことにして生活していたんですが、あるとき「ジョン・レノン・ミュージアムが閉館するから、ももちゃん行っといたら?」って幼なじみが連絡くれて、さいたま新都心まではるばる行ったんです。それで入り口かなんかにあったジョンの手形にパッと手を乗せたら「そうだ! わたしビートルズに夢中だったんじゃん!」ってとつぜん我に返った。自分が曲をつくっていたこととかがバーッと蘇ってきて、で、今に至ります。

 —二人がそれぞれ作った曲って「なんか聴いたことある」名曲のフレーズ、メロディラインの混ざり具合が絶妙に気持ち良くて昔から大好きなんですけど、作曲の秘訣は?(笑)「アレとアレを合体させて〜」って算数式に考えるのか、体に染み付いたのが天然で出てくるとか?

M:わたしはたぶん誰かの曲を材料にして「これとこれを組み合わせて…」みたいに曲をつくったことはないはずです。リズムを参照することはあります。リズムは共有財産だと思っているので。1990年代にもなって「誰の何の影響も受けてない全く新しい曲」をつくれるわけがそもそもないので、何かに似てしまうことはあったと思いますし、そこは最初からそういうもんだと思ってやっています。似せはしないけど、似るのは仕方がない。

S:ロックンロールの作曲をするんであれば、もう新しいものは何も生まれないんじゃないかなと僕も思ってます。 僕が作曲するときは「勝手に体に染み付いてるやつがにじみ出てる」ってことでOKです。

M:OKですって何? もう飽きてきた?

S:(笑)

M:わたしはいつも「ここをよぎったもの」が曲の素になっていて、それは別に音楽に限らないんですけど…うーん、でもどうやって曲ができるのか、考えてもわからないです。

 —「カノン進行」とかコードもメチャ探求してそうですけど? ひょっとしてクラシックを勉強してたとか?

S:クラシックは聴くのは好きですけど、作曲法とか形式とかについてはあんまり興味がないですね。でも好きなクラシックの作曲家も多いので、なんとなく影響されているというのはあると思います。ラヴェルとか。

M:わたしは幼稚園くらいのときにエレクトーンを少しだけ習って、コードとベースとリズムの概念を獲得したというのはあります。7thのコードを使って次の展開につなぐ、みたいなのはこのときのクセで今でもやっています。エレクトーンってあれ、ひとりバンドで。右手でメロディ、左手でコード、足でベース、そしてリズムボックス。クラシックというより、演奏者としての入り口がいきなりポピュラー・ミュージックだったんです。実用から入る、みたいな。

S:僕の作曲のベースになってるのは…あの、僕は1980年代半ばにギターを始めたのですがその頃の姫路は今よりもはるかに、楽器の演奏法や作曲法なんかもうあまりにも情報がなさすぎて、好きな曲だろうがあまり興味がない曲だろうが耳に残った曲は片っ端から耳コピしていくっていうぐらいしかやりようがなかったんです。テレビつけっぱなしにして、CMで流れてる曲のフレーズを片っ端から耳コピしていくっていうレベル。そのとき流行っている曲やったら例えば明星の付録のヤンソンとか? ああいうのに載っていて、僕も楽譜は読めなくてもコードネームぐらいはわかるようになっていたのでそれを見ながらもう片っ端からギターを弾いて歌っていくのが好きでした。なんとなくこのコードに対するメロディはこう、とか、コード進行なんかはそういうので勝手に身について行ったんじゃないかなと思います。作曲法のベースにあるものはそれかなーと…。演歌とか、デュラン・デュランみたいな洋楽とか、あとは実家の洋品店の有線で流れてたクラシックもジャズもイージーリスニングも、流行っていて耳にするるものなら何でも弾いていました。僕はただギターが弾きたかっただけなので、何でもよかったんです。

M:幼稚園くらいのときに親に買い与えられた70年代のテレビまんがの主題歌を集めたLP4枚組のボックスセットがあって、とても好きで大人になってからもよく聴いていたんですが、あれを作曲した方たちのほとんどはクラシックの素養みたいなものが身についてるんじゃないかと思うので、そこから間接的に影響を受けている可能性はあります。今パッと思っただけですが。

 ジャンル云々について


 —お二人の前歴活動期では俗に言うパワーポップや、ギターポップ系好きのファンが多かったと思いますが、そういったジャンルやシーンを意識して演ってました? ボクが感じてたのは、基本二人ともシンプルなロックンロールを無意識、天然的に発展させてたように聴こえましたが?

S:プレイメイツをやるときにギターポップやパワーポップとかいうジャンルも多少は意識していたかもしれないですけど、僕が好きだった音楽は50年代から60年代のロックンロールだったので、意識する割合はたぶん1:9ぐらいでした。ああでも1stアルバムのときはまだ迷いがあったので2:8くらい…パンクとかパワーポップとかそういうノリも2割ぐらいは残ってたかもしれません。この話は出音の話ではなくて僕の意識の話ですあくまでも。

M:雑誌のメン募コーナーを見て「アノラックバンドやりたし」っていう全く知らない人のバンドにコーラスで加入したのがわたしのバンド活動のはじまりなんですが、そのバンドでライブなどをし始めた頃は都内でもそんなにジャンルとかシーンとかいうほどのものが存在してなかったと思うんです。1992年とかそのくらい。まだかなりごちゃ混ぜだったんですよ。なので、「アノラック・ムーブメント」っていうのかな、後追いなので詳しいことはよくわからないんですけどThe PastelsだとかThe Shop AssistantsだとかTalulah Goshだとか、そういうバンドを知ったことがわたしの演奏活動への入り口になったのは確かなんですが作曲や演奏の面では実は言うほど意識していなかったですし、その後もわたし自身に「ギタポ村」の村人の自覚はほとんどなかったです(笑)。常にシンプルで粗いロックンロールをやっていたつもり、というか、したいこともできることもそれしかなかったんですよ。

S:僕もパワーポップをやろうとかギターポップをやろうとか意識してバンドをやってたことはたぶん一度もないんじゃないですかね。

M:わたしはそもそもお客さんを意識してやったことが一回もないんじゃないかなと思います。

S:僕もお客さんのことを意識したことはないんですけど、あの、当時僕らは姫路のマッシュルームっていうライブハウスによく出てたんですけども、大阪とかでも演奏したくて…たとえばベアーズとかにも出たかったので、そういうところに出るにはちょっとパンクっぽい方がきっと出やすいだろうという多少の戦略があったのでプレイメイツの1stはあんな感じになった、っていうのは実はあります(笑)

M:ブッキングの人のウケを考慮したのか。

S:で、実際ベアーズにはプレイメイツのデモテープを持っていったことがあるんですが、オーディションを受けに来てくださいみたいな連絡が来ることはなかったです。

M:黙殺ですね。

S:でもその後ベアーズにはよく出演させてもらえるようになったので全然OKです(笑)

M:わたしはたぶん、ライブハウスに「ブッキングで出演させてください」とかお願いしたことがないので、バンド活動としてはまたちょっと特殊なのかもしれないです。

 再び作曲の話


 —お二人とも趣味が「作曲」って聞いたんですけど、ミュージシャンでも珍しいかと(笑)。メロディラインとかコード進行とかいつも急に降ってくるもんですか?
 
M:うーん、よくわからないです。曲をつくるぞ! っていってつくることがあまりなくて、なんていうんですかね、核になる「感じ」がよぎることがあって、そのとき暇だったらそれを手がかりにふくらましてみて、ふくらむようだったらそのままついて行くし、しぼんだら忘れ去ります。

S:僕は仕事でよく車の運転するんですけど、そういうときとかあとは鶏の世話をしているときとかにふとしたフレーズを思いつくことが多いです。それをボイスレコーダーで録音して、気が向いた時にそのメロディーを元にギターでふくらましていくっていうパターンが多いですかね。これは一例に過ぎませんが。

M:若い頃はどうしてた?

S:プレイメイツ以前の、10代のときにやっていたロックンロールバンドなんかではこういう曲がやりたいっていうのがはっきりしてたので、ギターを持って頭の中で想像してる通りに組み立てていくっていうパターンが多かったです。

M:その「こういう曲」っていうのは既存のバンドの既存の曲?

S:当時よく聞いてたロックンロールとかブルースとか、レコード聞いたりライブ観たりしていて「僕ならこう演奏したい、こうやって歌いたい」っていうのを元に作り直していくっていう感じですかね? うまく言葉にできないんですが。その頃は、というか今もそうなんですが、オリジナリティとかそういうことは全然考えないので。

M:わたしも、誰かの曲を聴いていて「わたしだったらこうするな〜」っていうとこから動き出すことはあったかもしれないです、若い頃は。

 —聖くんがSNSで「18歳頃に作りかけてそのままにしていた曲、ようやく仕上がりつつあるので練習」ってアップしてましたが、んな昔の曲を思い出すこと自体不思議です。デジャブ?(笑) タイムスリップしました?

M:これあれだよね、「思い出す」とかじゃないよね?

S:曲を作る人はたぶんそうじゃないかと思うんですけど、別にすごくいいメロディだとかいいコード進行だとかではななく、自分でもありがちやなーと思ってしまうような何の変哲もないメロディが何十年もずっと頭の中に残り続けていることがよくあって。

M:思い出すとかじゃなくて、常になんとなくつきまとわれてる感じよね?

S:そうですそうです。だからそのいつまでもつきまとってくるものにとどめを刺したいみたいなのもあって、で、今回ちゃんと止めさしできました(笑)

M:よかった(笑)

 —アルバム収録12曲中9曲はそれぞれの作詞・作曲ですが、他の3曲(「無限のリズム」「青写真」「狂おしい夏」)での共作作業ってやってみてどうでした? お互い刺激になったとか?

M:「無限のリズム」と「青写真」は聖さんの曲で、歌詞書くの面倒だからももこさん書いてって言われてパッと書いただけなので純粋な共作曲はこの中だと「狂おしい夏」だけですが、わたしはおもしろかったです。自分には見えてなかった方向へ聖さんが転がすのを受けてまた転がして…みたいなことを、曲をつくる段階でそれまでやったことがなかったので。聖さんは誰かと共作ってそれまでしたことありました?

S:うーん、たぶんないはずやし、ももこさんとも共作らしい共作は言うほどやれていないのでそれは今後の課題ですね。頭の中にあるものを曲にするっていうだけなら一人でやった方がどうしても手っ取り早いのでついそっちの方法を選んでしまうけども、たぶんそれやとあんまり広がらない、というか広がりも限定的になると思うので、僕はもっとももこさんと共作したいですね。

M:レノン=マッカートニーとかってあの人たち実際どうやって共作してたんだろうね?

S:たまに本人たちの記憶もごっちゃになって揉め事の元になってたりね。

M:じゃあ我々は揉めないように気を付けましょう(笑)

 歌詞について


 —前述のデモ作や、今回の7インチのB面で演ってるプレイメイツ期の名曲「ダークネス」(アルバム未収録2024年新録バージョン)ですが、英語歌詞をももこさんが書き直した経緯は? 元々全体的にゴスペルをイメージする歌詞と思いますが、「 Blind Man 〜」よりコンプラ的に「Morning Sun〜」とソフト肯定的にしたとか?

M:Momo‐Seiが動き出してすぐ、聖さんからの一つ目のオーダーがこれだったんです。この曲に新しい歌詞をつけて欲しいと。元の歌詞をわたしは知らないんですよ。プレイメイツのレコードは歌詞を載せていないし、というかこの時点でプレイメイツのアルバムは1枚も持ってなかったんですけど、聖さんの手元にも歌詞はないと言われて。完全に塗り替えて欲しい、自由に書き換えて欲しいというオーダーだったので音と節だけを頼りにイチから書きました。

 —他にも旧デモでは英語歌詞の曲もあったと思いますが、「umareta」を全曲日本語歌詞の曲にした意図は?

S:「umareta」に限らず、だんだん自分が普段会話してる言葉で歌えばいいんじゃないかなと思い始めていたというか…もともと英語に強いこだわりがあったわけではなくて、ビートルズとかエルヴィスとかBBキングとか、誰でもいいんですけどそういう人たちが英語で歌ってるしそういうもんかな、ぐらいのことだったので。

M:わたしが一回目の現役時代に英語でやっていたのも単に音が使いやすかったからというか、最初にガーンと遭遇したビートルズが英語でやっていたから、ぐらいのことでしかなかったです。そもそも英語が話せるわけでもないので辞書を引き引き中学生英語で歌詞を書くのが面倒になったのと、あとは英語がこれだけ世界中で力を持ってしまっていることを苦々しく思う気持ちもないわけではないので(笑)、まあ、使い慣れた言語でやろうかなっていう程度のことだったはずです。

S:なので、今後僕らが例えば他の星に移住したりして日常的に使う言葉が日本語ではなくなったときには、また全然別の言語で歌うんじゃないかなと思います。

 —二人ともとってもドリーミーで独特の表現をしてると思いますけど、作詞も趣味ですか?

M:えっドリーミーなんですか?!

S:ドリーミーってなんやろなあ。

M:ドリーミーかはさておき、作詞はそこまでおもしろくはないです。どちらかというと仕方なくやっています。無いと歌えないから書いてるだけ。音が節をつくってくれる感じでうまくはまったときとかは、おお、となったりもしますけど。サニチャーのときなんて、あれはまだギリギリ10代でしたが、母音子音をシャッフルしたオリジナルの50音表をつくって「サニチャー語の歌詞」とかいうのをつくったこともあるくらいで…まあ、ずっとそういう感じです(笑)

 —日常系、恋愛系、宇宙系とかテーマを決めて書くんですか? 作詞は作曲の後派? 前派?

M:だいたい曲の核になるものがよぎるときに音もセットになっているので、その音に近い単語を探して、あとはそこからふくらませていく感じですかねえ…内容は見えたもののスケッチに近いと思います、わたしのは。

S:僕も先に曲を作ってしまうタイプなので 後で必死に詞を作ってのせていくんですけども、意味よりも音の響きの方を優先しています。最終的に意味がよくわからなくなっても、音楽に、リズムによくのっていればOKにしています。

 —曲によってはメッセージ性が強烈なのもあるのでは? 妄想ですが、ももこさん作「夢中になりたい」とか?

M:「夢中になりたい」は、あれをつくった頃ライブで若い人たちのバンドと共演する機会が結構あって、ああいうこう、なんていうか青くさい、わたしだったらこっ恥ずかしくて歌えないような歌詞を当たり前のように歌っている子たちの姿を見ていて、あえて我々がそれっぽい歌詞を歌ったらどうなるのかな? という興味が湧いたので珍しくちょっとだけ意図的につくった歌詞ですね。形式はあんな感じですけど内容はやっぱり見たもののスケッチに過ぎないです。

 —ももこさんの X(旧ツイッター)見たらものすごい量を発信しててびっくりしたんですけど、言葉が温泉みたいに常にドバドバ湧いてくるんですか?

M:ツイッターは執筆活動をしているときのウォーミングアップというか、野球で次の回の守備についた外野手が軽くキャッチボールしたりするあれとたぶん同じです。そのとき見えたもの、よぎったことをその場でパッと文章化する体操。文字数制限もあるので適度な負荷がかかって、書く筋肉に効く (笑)。ツイート数が多いときは何か書いてるとき、ツイートが途絶えたときは執筆活動から離れているときです。わかりやすいですよ。

 —日本語歌詞を作る上で、好きなアーティスト、影響を受けた方っています?

M:特にいないんですがTheピーズのはるさんの書かれる歌詞は好きです。

S:僕もはるさんの歌詞も曲も大好きです。

M:節の使い方がとってもうまいなーって思います。書いたものをご自身で歌ってらして、発音もすごくいいし、ロックンロールの演奏を言葉でもしている感じで素敵です。

 — 時代背景や生活環境によって感じる事も変化するとは思いますが、今の世で歌ってみたい詩ってあります?

S:一瞬、自分に対して嘘のないことを歌えたらそれでいいかな、って思ったのですがさらによく考えたら歌の中なんて別に嘘だろうが嘘じゃなかろうが、歌の内容とかってやっぱり何でもいいかもしれないですね。

M:あんまり考えたことないのでわかりませんが、とにかくわたしはずーっと見たものをスケッチしていくだろうし、曲の節と合っているものなら誰が書いたものでも何でも歌ってみたいです。

S:僕は人が書いた歌詞を歌うと勝手に改変してしまうので…人が書いた通りにできないんです。それを回避するために自分で歌詞を書いたり曲を作ったりしてるのかもしれません。人のしていることの感じをつかむのはわりと得意なんですが、その感じを極端にデフォルメするのが好きなので勝手にどんどんアレンジしてしまうというか…

M:わたしも完コピは苦手で、誰かの曲をカバーする時もどんどん歌い回しとか節とか変えちゃう方かもしれないです。メロディーはそのままで全然違う歌詞をつくるのとかも好きですね、自分が作った曲でも、人の曲でも。

 —ももこさんは作家として書く本での表現と、音楽での作詞って別物、別脳なんですか?

M:「作家として書いた」ことがないのでわからないんですけど、音楽の作詞のほうが制限があるぶんラクです。枠を埋めれば終わりなので。小説は動き出してしまうといつどう終わるのかわからないままついて行かなきゃいけないからしんどい。そのぶんおもしろいのですが。

 最初に買ったレコードの話とラジオの話


 —多感期に聴いた音楽ってずっと頭にこびりつくと思うんですけど、どんなん聴いてました? 最初に買ったレコードは覚えてます?

S:自分の意志で最初に買ったのはLPで言うとビートルズのレアリティーズっていう編集盤です。オリジナルアルバムはマンションの上の階のおじさんが「ビートルズコレクション」みたいな名前のオリジナルアルバムが全部入ったミュージックテープのボックスセットを貸してくれて全部ダビングして持っていたので、オリジナルアルバム未収録曲を集めた「レアリティーズ」を買ったんです。あ、でもその前にミュージックテープを買ってました!「ビートルズ・グレイテスト」っていうドイツかオランダかどっちかの編集盤を東芝が出していたものです。

M:最初に買ったレコードは覚えていません。わたし、こどもの頃の記憶があまりなくて…。ゴーストバスターズの主題歌の7インチとかかな? それかチェッカーズかな? でも頭にこびりつくほど聴いたのは中学生になってから買ったビートルズだけです。本当に異常に聴いていたんですよ。この人たちはわたしの友達だ! って思ったんです、はじめて聴いたときに。

 —ボクの小中学生時代はラジオの短波放送を聴くブーム(BCL)があってよく海外やFEN(在日米軍向けラジオ)の音楽番組を楽しんでましたが、お二人はラジオの影響は?

S:どっから話したらいいんやろ、それ…

M:たぶん聖さんにラジオの話させたら2時間ぐらいかかりますね。

S:小学校低学年の時点で、僕はすでにラジオを使いこなせていたんです。短波放送で外国のラジオ局の放送を聴いたり、外国から日本向けにやってる日本語放送を聴いたりとか…短波だけじゃなくてAMもFMもとにかく片っ端から聴いていました。

M:より良い受信環境を実現しようと部屋中にアンテナ張り巡らせてお姉さんに嫌がられてたって言っていたね。そこまでのめりこむきっかけは何だったんですか?

S:小学校2年生くらいのときに電子ブロックっていうのを親か誰かに買ってもらって、僕はあれでラジオを作るのが好きだったんです。そうこうしているうちにラジオに興味を持つようになって。放送内容というよりもしくみ…機械の構造ではなく電波を受信するということ、世界中にいろいろな電波が飛びまくっていて、その電波はなんらかの目的があって誰かから誰かに向けて飛ばされたもので、それを片っ端から受信するっていう…

M:行為?

S:行為…まあ、行為、に興味があったのかな。だから最初のうちは特に放送内容は何でもよかったです。ひたすら時報だけ流し続ける放送局というのがあって、日本だとJJYっていう、ああいうのとかも大好きやったし。

M:短波ラジオで聴く外国の番組とかも内容は全然わからないわけだもんね。じゃあそういう時報とか、いろんな「内容は何でもいい」の中に音楽もあったっていうことか。

S:そう、このなんとなく暗〜い軍歌っぽい音楽はきっとロシアの放送局やろな〜とか、まあ当時はソ連やったけど、あとはバシャーン! キャンキャンキャンキャン!みたいな音楽は中国かなとか…

M:なにそれ、銅鑼??

S:なんか中国のお祭りの音楽みたいなのをずーっと流してるのがあって、今にして思えばあれたぶん、ジャミングやな。妨害電波。

M:まあその話も長くなりそうなので置いとくとして(笑)、どういう音楽が好きとかいう以前にそんな感じでラジオを通じていろんな音楽に触れてたんですね、ビートルズ遭遇前夜の聖さんは。

S:そう、でもそろそろ、小学校3、4年生くらいになるとたとえばラジオ・オーストラリアの日本語放送とかを聴いていると「今オーストラリアでも流行っているこの曲、ザ・ポリスで『ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ』!」とかいって、ああ、ポリスっていうのか、日本でもCMかなんかで聴いたことあるなーとか、いくらでも情報が入ってくるようになって。

M:そういう、洋楽ヒットチャート的なものに関してはその短波ラジオが唯一の情報源って感じだった?

S:短波ラジオだけやないけど、でも80年代初頭の姫路やったらそうやなあ、もうちょっと後の83、4年くらいになってくるとマイケル・ジャクソンとかマドンナとか、洋楽のミュージックビデオの全盛期になってくるからテレビでも情報が入ってくるようになるんやけど、その前はほぼラジオだけでしたね。AMとかFMも含めて。

M:じゃあビートルズに出会ったのもラジオ?

S:それがいろいろ絡んでくるんやけど、81、2年頃にサンテレビでやってた『アニメ・ザ・ビートルズ』っていうのの主題歌が「A Hard Day's Night」と「Can't Buy Me Love」で、覚えてへんけどたぶんそれで最初に聴いて衝撃受けたんちゃうかな? で、決定的やったんはちょうどそのころ姉がたまたま買ってきた、いまだに何で買ってきたんか理由はわからへんけど、ビートルズの『リール・ミュージック』っていうミュージックテープを聴いて、その1曲目がやっぱり「A Hard Day's Night」。もうここでガツーンとやられました。どれぐらいガツーンとやられたかっていうと60分テープのA面の頭からB面の終わりまで全部「A Hard Day's Night」っていうテープをダビングして作ったくらい(笑)

M:エンドレス(笑)

S:そこからどんどんのめり込んでいって、82年に入るとビートルズのデビュー20周年だかなんだかでテレビでときどき特番みたいなのをやるようになったり、『突然ガバチョ!』っていう鶴瓶が司会のテレビ番組がはじまって、そのオープニング曲も「A Hard Day's Night」やったし、テレビで流れる回数はそこまで多いわけではなかったけど僕はそれを逃さへんかった。気になってFM雑誌とかでオンエア情報を探してみるとビートルズなんぞいくらでも見つかって、そこからビートルズしか興味がなかった時期が半年とか1年くらい続くんですが、ビートルズのことを調べてると例えばFM雑誌なんかには最新ヒットチャートも載ってたりして、他にもさまざまな音楽があることにだんだん気が付いてエアチェックがはじまってしまう。

M:ビートルズの人たちもラジオが貴重な情報源だったみたいな話あったよね?

S:BBCがあまり流してくれないアメリカとかの最新のロックンロールの曲をラジオ・ルクセンブルクっていう海賊放送局がイギリスの若者向けにガンガンかけてて、そういうのから情報を得ていたみたいな話を何かで読んだことがあるね。

M:最新の情報がどんどん入ってくるわけじゃない、っていう点ではリバプールの少年と姫路の少年の境遇は近かったのかな。ラジオの重要度がよく似てる気がする。

S:あー確かに。それはあるかもしれない。リバプールも田舎の町やからね。

M:わたしはそういう、ラジオを聴く習慣って全くなかったです。ただ、バンドに加入してみようってなったきっかけのひとつがフリッパーズ・ギターがやってたマーシャンズ・ゴー・ホームっていうラジオ番組で、というか友達がテープに録ったものを貸してくれて聴いたんですが、あの番組でかかっていた80年代90年代の欧米のインディーポップバンドの曲を聴いてなんかこう、ガシャガシャした演奏というのか…「そうか、わたしがバンドをやるっていうのもあり得るのかもしれないな」とそのとき思いました。ビートルズを聴いても「やろう」とはならなかったんですよ、だってわたしがしゃしゃり出る幕ないじゃないですか。あの4人に任せときゃいいよねってなるでしょう?

 音楽活動・バンド活動をはじめたきっかけ


 —その当時に影響を受けて今でも大好きなアーティスト、曲ってありますか?

S:ビートルズと出会う前は曲に対して好きとか嫌いなんてなかったのでその頃聴いていた曲は何でも今でも覚えていますが、さっきも言ったように音楽に目覚めたのは「A Hard Day's Night」を聴いたときで、それ以来ずっと大好きな曲です。

M:わたしも同じことばかり言ってますけどビートルズで、曲は「Tell Me Why」です。初めて聴いたときからずっと、たまらなく好きです。入りのドラムから最後まで丸ごと大好き。つくった人自身の評価が低めっぽいところもまたいいです。

 —音楽活動、バンド活動ってどんなきっかけで、いつからですか? ギターから? ピアノから?

M:バンドに入ったのはさっき言った通り雑誌のメンバー募集欄を見て応募したのがきっかけで、確かクロスビートかリミックスだったと思うんですけど、19歳のときです。コーラスとタンバリン係で入りました。

S:僕はギターを弾きはじめたのは1985年の1月で、自転車を買ってもらうために質屋に行ったのに自転車は買わずにギターを買ってもらいました。そのとき僕は中1で、中学生のあいだは同じようにギターを入手した友人と僕の部屋で集まって弾く程度やったんですけど、その友人と同じ高校に進んでからバンドを組むことになりました。最初のライブは1987年の6月の文化祭やったと思います。曲はBryan Adamsの「想い出のサマー」とか「The Only One」、Chuck Berryの「Johnny B. Goode」、Eddie Cochranの「Summertime Blues」、Kissの「Heaven's On Fire」、演奏したのはたぶんこの5曲です。

 —自分で作曲して録音を始めたのはいつ頃からですか? ラジカセとかで?

S:中学生の時に、家にあったカラオケの機械でカセットにまずギターを録って、それを再生デッキで流しながらマイクで自分の歌や他の楽器を重ねるっていうのを何度も繰り返して多重録音をしていました。ノイズを気にしなければ永遠に重ね続けることができるので、一人で「さくらさくら」を延々30分くらいアドリブとかフィードバックを交えて多重録音するとかそういうことをやっていたんですが、数年後ウッドストックのビデオを見たらジミが同じことをやっていた(笑)。あちらはアメリカ国歌で。

M:そういう、全然違うルートで過去の人の到達点にうっかり到達しちゃうことって、あるよね(笑)

S:(うなずく)

M:わたしが最初に曲を作ったのは2、3歳くらいのときです。「ライオンのかみ」という曲です。今でも歌えます。さっきも言ったのですが、幼稚園〜小学校低学年くらいの時期にエレクトーンを習いに行ってコードとベースとリズムの概念を獲得して以降は家でひとりでエレクトーンやピアノを弾きながら即興で歌っていました。録音し始めたのは19歳のとき、最初は聖さんと同じでラジカセを使ってピンポン録音をしていました。知り合いの人に4トラックMTRをもらってからはそれで録りまくるようになって、なんて便利な機械なの! って感動しましたよ。…あ、今ちょっと思ったんですけど、これ、わたしと聖さんは誰に教わったわけでもなく当たり前みたいに家で多重録音をし始めていたわけですけど、世の中の人は必ずしもこういう行動に走る人ばかりでは無かったりするんですかね?

S:どうなんですかね?

M:あの時代だったらカラオケが流行ってて、オケだけが入ったカセットを流しながらマイクを通して歌うっていうのはみんなやっていたけど、わたしとか聖さんはそのオケを自分でつくろうとしたわけですよね。

S:耳コピが当たり前やったからね。レコードとかを聴けばああこれは複数の人が複数の楽器でやってるなって、わかるやん。それを一人で再現しようとすれば多重録音に行きつく。

M:家にカラオケの機械があって、だいたいテープが何十巻とかセットでついていて人気の曲がまんべんなく入っているんだけど、その中に歌いたい曲が入ってない! ってなったときに「じゃあ他の曲を練習しよう」とか「その曲が入ってるテープを探して買ってこよう」ってなる人と、「よし、自分でオケを作ろう」ってなる人の違いというか。

S:僕ら自分で作りますよね、DIYとかですらなく、当たり前に。それが普通。

M:だからここだけでしゃべってると当たり前なのかなーって勘違いしちゃうけど、それ別に普通ではないのかもしれない。

 どんなレコード聴くかとか


 —聖くんは姫路期から神戸、大阪でめっちゃレコード買ってたって周りから聞きましたが、どのあたりのジャンルを特に? それともジャンルレスで? ジャズとかも聴いてそうなイメージですが? 今でも大量にお持ち?

S:姫路市民の中ではめっちゃくちゃ買ってた方なんちゃいますかねー。姫路期っていうのが90年代初頭とかの話だとしたら50年代から70年代ぐらいの英語圏のレコード…ジャンルはもう何でも、ジャズとかクラシックとかイージーリスニングとかも買っていたと思うんですが、ただ僕が本当に自分が聴きたくてレコードを買いまくっていたのはもう少し前の時期なんです。1985年から87年の2年間くらいは手に入れたばかりのギターを毎日アホみたいに弾きまくっていて、その時期がちょうどアナログレコードからCDに切り替わる時期と重なっていて。急にレコードが粗大ゴミという扱いになって、ダイエーでやっている中古レコード市とかで例えばJeff Beck、CCR、Johnny Winter、Peter Frampton、KISS、Cheap Trickなんかのレコードが格安で投げ売られていたので、それを片っ端から買いあさってギターのフレーズをコピーしまくっていました。ちなみに今はレコードもCDもほとんど手放しました(笑)

 —ももこさんも東京で爆買い?

M:うーん、高3から20歳くらいまではインディーポップバンドのレコードをやたら買っていましたが、自分がバンドをやるようになってからはそんなに買わなくなりました。

 —二人とも、ありとあらゆる音楽をちゅうちゅう吸収してそうですけど(笑)ご自覚は?

M:わたしはたぶんそんなに音楽だけを摂取してる感じではないと思います。

S:僕はロックンロールが大好きな割に、聞いたりするのはロックンロール以外の音楽の方が多いかもしれません。変な話ですけど。

 —意外にも(ジャンプ)ブルース、ロカビリーや、ロックステディとかも大好きらしいですけど?

S:別に詳しくはないけど大好きですよ。

M:わたしは録音物の音でいうと1920年代くらいのものが一番好きなんです。

S:僕も大好きです。

M:60年代とかになるともうハイファイすぎて(笑)

S:右と左から別の音が聞こえてきたりすると「あたらし!!」って思うよね(笑)

M:(笑)。わたしはジャンル分けがしづらい曲やバンドに惹かれるんですが、あえて「好きなジャンル」を挙げろと言われたらジャイヴ、カリプソ、スカなどと答えるかもしれません。といってもコレクター的に好きなわけではないんです。詳しくなりたいみたいなのがそもそもない。音質、ラフさ、一発録りの緊張感みたいなものに惹かれます。

S:僕は好きな音楽をジャンルで聞かれたらなんて答えるかな…うーん…やっぱり年代で答えてしまうかもしれないです。録音が始まった1900年頃から1960年代ぐらいまでの音が好きです。

M:わたしもジャンルより音なんだよなあ。オーケストラの演奏でも、映画音楽でも、長唄でも、何でもいいんだ、欧米で言う1920年代くらいまでの録音物の音質なら(笑)

S:僕も1900年パリ万博のオッペケペー節のCDとか20年以上前に買ってよく聴いていました。

 以前やっていたバンドのこと


 —ももこさんって色んな名義で活動されてましたけど、それぞれ別色の表現を目指してた感じですか?

M:目指していた、というのとは順番が違って、まず曲ができてしまうんです。で、そのときやっているバンドのメンバーが演奏するとなるとちょっと毛色が違うな〜という曲ができてしまったときに、メンバーに対応を求めるんじゃなくて近場にいる全然別の人たちとやる。ただそれだけのことなんですが、どんどん増えてしまって…

 —プレイメイツはいつから東京で活動? 姫路から行ったきっかけは?

S:1995年だったと思うのですが、サマンサズ・フェイバリットの尾崎さんの企画に誘われて下北沢のシェルターでやったのが初めての東京でのライブです。そこから2年ぐらいは毎月のように呼ばれて行ってました。もともとのきっかけは、93年くらいに大阪のサンホールかどこかにNG3のライブを観に行ったことがあって、そのときにフライヤーをもらったんですが当時はフライヤーに連絡先の電話番号が書いてあったので、次のライブの予定を聞こうと思って電話したら普通に新井さんが出て(笑)。僕らもバンドをやっているのでデモテープを送っていいですか? という話にもなって、送ったらすぐに電話がかかってきて「デモテープとってもよかったよ! 周りの人たちにも配りたいからもっと送って」と。そのとき新井さんがテープを渡した人の一人が尾崎さんだったみたいで、めちゃ気に入ってくれてライブに呼んでくれるようになりました。

 —当時それぞれ近いシーンにいたと思うんですけど、お互いに音楽的な影響ってありました?なんか印象的なエピソードがあれば。

M:影響とかはなかったと思いますけど、うーん、どうなんでしょうね? わたしが当時やっていたバンドにさっき話に出た新井くんがいて、彼がプレイメイツのアルバムのプロデュースをしていたので1stアルバムのサンプル? デモ? のカセットテープをもらって聴いたのですが、わたしは「Do It Again」が許せなかったんですよ。「Any Time At Allじゃん! なめてんの?!」って。聖さんのそういう「気にしなさ」みたいなのに対するうらやましさがあったのかなー…何なんですかね、20代のわたし(笑)

S:あれを「Any Time At All」みたいな音質とかアレンジにわざわざ似せたのはそのプロデューサーのかたですよ(笑)

M:…あー!!(笑)

S:ぼくらもおもしろがってやりましたけどね。レコーディングに関してはド素人中のド素人だったので、いろいろおもしろいアイディアとか出してもらって、とてもお世話になりました。

M:プレイメイツとはレーベルが同じだったので、2ndアルバムの4曲入りプロモCDも人づてにもらって何度も聴いてはいました。それに「Darkness」も入っていたりして。いい曲を書くんだなあと思ってはいたんですよ。「だけど Any Time At All インスパイア、とか平気でやっちゃう人たちだからね! あたしゃ永遠に許さないから!!」って今となってはそんなの果てしなくどうでもいいし、素直にたのしく聴きなよ〜としか思いませんけど…まあでも今は毎日たのしく聴いてるのでオッケーです(笑)

S:僕も影響を受けたとかは思ってないですけど、さっきも言った通り普通にももこさんのCD買って愛聴してました。アンダーフラワーから出た最初のカップリングのCDとかも買ってカセットに録って当時の僕のドライブのお供でしたし、今でもあれは大好きです。その後対バンとかしたときも僕はライブ必ず見てましたから、ももこさんと違って。

M:わたしは人混みとかタバコの煙が苦手だからそもそもライブハウスに長時間いられなかったんです。見てないのはプレイメイツだけじゃないです(笑)

 「シーン」的なものについて


 —渦中におられた'90年代インディーズ・バブル期の印象は? 携帯もネットもなかった時代ですが個性的なアーティストが異常に発生してた時期でもあったと思いますが。

M:そもそも渦中にいる自覚がだいぶ薄かった気がします。かなりひとごとだったので。CDやレコードも出せば売れるし、ライブもいつも満員だし、素人が活動するにはまあラクでしたけど…やっぱりラクをするっていうのは毒なんだと思います。苦労すりゃいいとかでもないんですが、ラクだと工夫をしなくなる。鈍ってしまう。ひとごとのままゆるやかに鈍っていくっていう一番まずいパターンでした、わたしは。

S:僕はプレイメイツのアルバムが出た頃にはその前のバンドの活動も合わせるとすでに10年近く経っていて。

M:すでにベテランさんだったんだよね(笑)

S:そう。で、それまでは姫路以外ではお客さんが入らないのが当たり前やったので、東京のレーベルから出してもらえるとか東京でライブができるとかいうだけでとんでもないことになってもたなって思って。そのうちプレイメイツ目当てに来るお客さん、みたいなのまで現れてちょっと信じられへんことになってしまって。姫路のバンドが姫路以外で人気が出るなんてこと自体それまで聞いたことがなかったですし、それまで10年間全然そんなことなかったのに急にちょっとなんか…僕としては自分が持ってるキャパシティをはるかに超えちゃってたのでその段階でもうどうしていいかわからへん、そのなんかどうしていいかわからないまま90年代は終わっていきました。

M:それ聞いて思うのは、やっぱりわたしは自分がバブルの渦中にいること自体気がついてなかったなーって。バンドを始めて少し経ったらもういきなりそのバブル期? みたいなのになっていて、その時期しか知らないので。

S:僕は87年頃からバンドやってるから、バンドブーム全盛期やったから。むしろ盛り上がりで言うとそっちの方がなんかすごかった記憶があるもんなー。

M:バンドブームの方がバブルっぽさがあったっていうこと?

S:「バブル」っていうのが何なのかがちょっとわからへんけど、バンドブームのときの姫路フォーラスホールとかの客席の熱狂ぶりというか、異様な盛り上がりみたいなのは90年代にシェルターとかジャムとかファンダンゴとかで体験したものとは明らかに異質やったなー。

 —東京でよく遊びに行ってたライブとかイベントってありますか?

M:高校の頃から卒業後しばらくは、吉祥寺のワルシャワっていうレコード屋の店員さんたちのDJイベントに通っていましたが、それ以降はライブやイベントには行かなくなりました。人混みが苦手だし、バンドやり出してからはすぐに知らない人とか微妙に知ってる人とかから声をかけられるので億劫になってしまって。もともと出不精なんです。

S:僕もライブとかイベントにはあまり行かなかったです。

 いまのこと


 —'90年代の活動期から現在に至るまでの音楽への取り組み方、シーンへの携わり方とかの変化はあります?

M:「シーン」的なものから距離を置こうっていうのは当時からずっと変わらないですけど、今は生活と完全に地続きなので、かなりすこやかに活動できていると思います。ライブハウスや練習スタジオのニオイとかシステムとか立地とか、ああいうものがわたしのからだにあんまり合っていなかったんだなーって離れてみてわかります。今が一番いいです。

S:もう練習スタジオとかに入るのも面倒くさくて嫌なので、録音とかまで全部家でやれているのは良かったんじゃないかなと思います。

 —そういえば10年ぶりの新作アルバム制作をプラン中とのことですが、だいぶ曲が溜まってぽいですね?

S:もう半分以上録音終わりましたよ。

M:新しいアルバムにはわたし8曲・聖さん8曲の計16曲を入れることにしたんですが、入りきらない曲もまだあと1枚分くらい軽くあって、それも全部とっとと録りたくてうずうずしています。

S:録ってる途中でも新しい曲ができるので。

M:正直言うと10年前のアルバムはすでに終わったことなので、今は2ndのことしか考えてないんです。1stの再発盤のインタビューなのにごめんなさい(笑)

 —島に引っ越してから出来た曲がメインですか? 今年8年目でしたっけ?

M:8月で9年目に入りました。わたしの曲は東京生活の末期につくった曲と島に移ってからつくった曲と半々ぐらいですかね。聖さんのは?

S:僕もそんなもんやと思います。

 —東京にいた時に作ってた曲と、180度変わった島での新生活で出来た曲の違いっていうか、歌詞も含めて表現の仕方が変わったとかあります? 表現する上で大事にしたいこととか?

S:僕は変化は自分では分からないですけど 今の気分に詞も曲も合ったものであれば何でもいいと思っています。

M:わたしは、移動後は移動前より思い切りがよくなった気はしています。いろいろ捨てたり諦めたり、手放せるようになりました。曲も線が粗くなってすき間が出てきました。

 —今回のレコーディングって島の自宅で? もう完成しそうなんですか?

M:はい、家でやってます。もう16曲中11曲録れましたから夏の間には録音終わると思います。

 愛用の機材とか


 —ちなみに愛用の機材(ギター、アンプ)を教えてください。ヴィンテージですか?

M:わたしは20代の頃からGUILDのギターをずっと弾いています。セミアコースティック? っていうんですかね? 今このために穴の中見たら「m-65」って書いてあるからたぶんそういう型番です(笑)。2000年頃に御茶ノ水の中古楽器屋で一目惚れして9万円即決現金払いで買ったもので、そのまま弾いてもかわいい、いい音で鳴るのでアンプにつながず生音をマイクで拾って録っています。あとはPremireのスネアドラムです。どこで買ったかも忘れましたが現行品だと思います。島に来るときドラムセットは泣く泣く手放してきたんですが、セットとは別にこのスネアも持っていて、ドラマーとして参加していたバンドのライブのときはこれを使っていました。こっちは売らずに島まで持って来て、今になって大活躍してくれていてうれしいです。もともとスネアだけでリズムはつくれると考えていたんですが、最近は使い方もだいぶ確立しました。

S:「umareta」ではエレキギターはあまり使っていませんが、今現在よく使っているエレキギターが日本製のGRETSCH TENNESSEE ROSE、たぶん90年頃つくられたものでプレイメイツの2ndアルバム以降ずっと使っています。ギターアンプはFender USA Pro Junior、たぶん90年代半ばくらいのものです。アコギがLarriveeのD-03です。

 ライブに向けて


 —5月ど平日の昼間に演った、姫路郊外のほっこりした本屋さんでのライブを初めて観させてもらいましたけど、二人のほっこりパワーと雰囲気が会場とマッチしてて感動しました。ライブで大事にしてることってありますか?

M:しゃべるように歌うこと、ですかね。ただ曲と曲の間にしゃべり始めてしまうと切り上げ方がわからなくなってダラダラ長くなってしまうので、なるべく歌以外はしゃべるなよと開演前の自分に言い聞かせているのですがそこは毎回うまくいきません(笑)

S:最近大事にしたいと思ってるのは、場をそのまま生かしたいっていうのはありますね。この前のあまかわ文庫でのライブならあの田んぼの横にある古本屋さんの場をそのまま生かしたい、と思ってやりました。古本屋をライブ会場にしてやる! ではなく、古本屋のあの空間でライブをする。

 —大阪でライブも演ってもらうことになりましたが(2024年11月キングコブラ)、意気込みなどありましたら。

M:同じ熱量で歌と歌がぶつかるさまを余すところなく。意気込まずにやりたいです(笑)

S:自然体で…あのー、えーっとうーん、なんやろな……まあ久しぶりの大阪! とかいって舞い上がらずに、普通の感じで頑張ります(笑)

 —この度の「umareta」再発化についてリスナーにメッセージがありましたら是非。

S:えー………と、2014年頃はこんな歌を歌っていました(笑)

M:ふふ。

S:あとなんやろなあ……思いつかへん。

M;あのー、なんていうか「いまどきの歌」とは歌唱法から何から全然違うかもしれませんが、じゃあいつどきの歌なんだといえばそれもよくわからないし、きっと人によっていろんなふうに聴けるアルバムだと思います。10年前の、うまれたてのソングライターズチームが東京の郊外でコソコソとやっていたことが今になってこうしてまた動くのは不思議なことだし、おもしろいことでもあるし、嬉しいです。やっぱり何かがよぎったときにはどんなふうでもいいからそのときかたちにしておくもんだなーって思います。気が向いたらぜひ聴いてください。

 —長々とありがとうございました。

M:こちらこそありがとうございました。

S:ありがとうございました。

 

編集後記

 聖くんは、ザ・プレイメイツのデビュー時からのファンで(ウチ企画フガジ岡山ライブに出演他)、ももこさんは前歴諸々大量の作品をお店で扱ってて愛聴もしてたので、ボクにとっての二人は正にドリームデュオ。当時から約30年を経て作品を出させてもらえるとは光栄な次第で、一人でも多くの方がロックンロールな二人の作品を楽しんでもらえることを祈ります。

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