Jackie and the Cedrics ライブアルバム発売記念
濃厚ロング・インタビュー(永久保存版)
エノッキー 「ハードコアなサーフィン音楽ってやっぱりインストかな」
「ジャッキー&ザ・セドリックス ’96年ライブ@新宿ジャム」アルバムのリリース記念で、メンバーにロングなメールインタビュー決行!いやいやいや、やっぱり面白いこの3人。長年聞けなかったこと、聞くのもヤボと思ってた事をこの際だからズケズケと根掘り葉掘り聞いてみました(笑)。期待以上のディープ回答連発で、全国のセドリックス・ファン、ロックンロール・ファンの皆様に是非読んでいただきたい永久保存版です。(聞き手、編集:タイムボム・レコード代表 こだま)
ー バンド結成の経緯は? 美大の時でした? エノッキーがメタル? ジェリーと出会ったんでしたっけ?
エノッキー(以下 :エノ) メタルはそんなに聴いてない。そもそもギターヒーローって苦手だった。ラモーンズみたいなソロが無い方が好きだったので。ツイステッドシスターとかR&R寄りのは好きだったかな。元々ベースやってたんでね。今考えるとメタルの様式美はサーフと通じるかもしれないな。ジェリビンと出会って一緒によく遊んだよ。ある時、国分寺の彼の部屋でサーフもの聴いてて「こーゆーのやろう」ってなった。遊びの延長!そのサーフィンバンドは学生ホールでの七夕コンサートに出演する為のものだった。
ー バンド名の由来は?
エノ ジェリビンが考えた。その時にニッキー&ザ・コルベッツのLPをかけてて「クルマのバンド名っていいな。でも俺達は日本人だし国産車でセドリックってとこかな。「ジャッキー&ザ・セドリックスなんてどう?」「いいねえ!賛成」って感じ。でもジャッキーは誰にする?ってなって、その場でジェリビンが友達のドラマーに電話した。快諾してくれたのが後のジャッキー。
ジェリービーン(以下 :JB) そーそー、「人名+車名」がカッコイイねって。でノリで『ジャッキー アンド ザ セドリックス』。じゃあ「誰がジャッキー?」ってなったときに、昔のサーフバンドってドラムがリーダーな事が多そうだ、ってことでその日から丸山くんがジャッキー!けど意外と本人も気に入ってたのか次会ったときにはもう“Jackie T-Bird”って名前になっていたよ。
ー そもそも3人ってどこで知り合ったんですか?
JB 俺たち同じ学校の先輩後輩なんですよ。エノッキーが自分とジャッキーの3つ上で。入って最初の「新入生歓迎ライブ」で出てたエノッキーの“エビ男”でしたっけ?あれを見て衝撃を受けました。この学校に来て良かった…と
それでなんだかんだで在学中に仲良くなりましたね。同じサークルだったかな?「重音」?「アメ民(アメリカ民謡研究部)」もでしたっけ?
ー なるほど、ではセドリックスは何年結成ですか?
エノ 1990年の初夏。ステージデビューは7月。ノブちゃんのイベントに出たのが9月。自分の記憶が正しければ。間違ってたら誰か訂正してください。
ー ウチ(タイムボム )の開店と同じ年でしたねそういや。ジャッキーは初ライブのことを憶えてる?
ジャッキー(以下 :ジャ) 学校のホールみたいなとこで、ボーダーに白のパンツで揃えて演奏したのを覚えているよ。時間オーバーとかいって、主催者にアンプの電源引っこ抜かれたりしたんだっけ?それくらいでキレるなよ(笑)と思った。
ー 結成時に影響を受けて今でも大好きなアーティスト、曲があれば教えてください。
エノ まずミザルーのディックデイルでしょ、これ影響大!あとはチャーチキーのザ・レヴェルズ、ザ・ランブラーズとエイドリアン&ザ・サンセッツ、ザ・ベルエアーズ、ジム・メッシーナ、アル・ケイシーとか。もちろん初期のザ・ベンチャーズやファイヤーボールズとか59年頃のインストロック勢も。それからアストロノウツのライブやワイキキサーフバトルなどのローファイなライブ録音聴いて感化されてた。ビーチボーイズに代表される歌ものサーフも沢山聴いたよ。でもハードコアなサーフィン音楽ってやっぱりインストかな。だからギターインスト周辺の音楽はむさぼるようにして聴いたよ。
JB 自分はインストオムニバスの「Strummin' Mental!」シリーズ。今まで知ってたいわゆる“テケテケ”とかでない、曲名を叫んでるだけの思いつきで作ったような曲や、パイプラインのパクリじゃん!みたいなインチキ感満載の名曲達にシビレてたなぁ。
ジャ サーフィン音楽というと、ビーチボーズとベンチャーズくらいしか知らなかったけど、初めてトラッシュメンのサーフィン・バードを聞いた時は何てふざけた頭の悪そうな音楽なんだって印象だったよ(笑)。
でも、いかにも一発録りのドラムの音は、当時好きで聞いてたスカタライツとかのジャマイカン・スカの雑な一発録りの生ドラムの音に近いものを感じて好きになったよ。インストも多いしね。
ー 結成当初から、現在のスタイルに至るまでの変化、経緯ってありますか?
エノ あんまり変わらない。てか進歩がない。自分としては7インチのシングル盤1枚出して終わった62年頃のバンドみたいな事ができれば目標達成だと思ってたので。哀愁があってイイでしょ?音楽って空気に消えてしまう芸術だからいい。もう長くやり過ぎてるのかも(笑)。見た目でいうなら最初期はボーダーTシャツに白リーバイスとコンバースでライブしてたよ。自分は髪が長くて眼鏡かけてなかった。
JB それありましたね~、全く忘れてた!
ー ジャッキーって、フィル・スペクター・レッキンクルーのハル・ブレインあたり意識してたり??
ジャ セドリックスを始めようとしてた当時、他にやってたバンドのゴローちゃんって友人に、「今度サーフバンドをやることになったんだよね」って言ったら、「いいなあ!ビーチボーズで叩いてたハル・ブレインってドラマーがホントいいんだよねー!」って聞いたのが最初だっけかな確か。ハル・ブレインの良さが何となくわかってくるのは、それから大分時間が経ってからだったけどね。
音楽を聴いているうちに、レッキンクルーとかファンクブラザースとか、スタジオミュージシャンの方が好きになっていきましたねー、ステージでメインに立ってる人よりも。昔はそうやってポップミュージックを量産していった影の立役者たち。
ー ’90年代初頭の「東京ガレージ・シーン」ってどんなんでした? DADDY-O-NOV主催バックフロム~中心に?
エノ シーンってほどの確固たるものは感じなかったけど情報誌のぴあ、シティロード、などを見てたら新宿のJAMでBack From The Graveっていうイベントを見つけたんだ。これは60'sガレージパンクのコンピ盤レコードのタイトルと同じだってピンときた。俺たちのやってるサーフィン音楽とは違うけど共通項も多いから売り込もうと思ってデモテープ持って行ったよ。あとで主催のノブちゃんに聞いたら、そういうヤツが来るだろうと思ってそんなイベント名にしたんだって。まんまと釣られたってワケです。そこでは5678'sでヨッちゃんが渋いギターインストやっててカッコ良かった。リンクレイみたいなグレート3も出てたらしいんだけどそれは観れなかった。ノブちゃんは気に入ってくれて翌月から出させてもらった。それからはテキサコレザーマンと一緒に毎月出演してたな。あと新宿アンティノックでミュータントモンスタービーチパーティーのクミーさんが主催するRockin' Garageにもデモテープ持って行き出さしてもらった。原宿のクロコダイルでは小塚さんのMonster Billy Attackがあったし、下北沢のZooでは20ヒッツのジミー益子さんがGarage Rockin' CrazeというDJイベントをやってた。これにもレギュラーみたく毎回出演。しかも水曜の夜中!もっと色々あった気もするけど思い出せないなー。この辺りのイベントはセドリックス結成より前の80年代からやってたと思う。"ガレージロック"みたいなジャンルって無かったけど各自がそれぞれマニアックで、色々と入り乱れて面白いアンダーグラウンドシーンだった。古い音楽が好きな人達が新しい事を始め出した感じ。微妙に違うマイノリティ同士が助け合ってイベントをやっていたよ。
ー 新宿ジャム、恵比寿ミルク他でのライブで印象にあったのありますか? 対バンでびっくりした方とか? 当時はお客さんのダイビングもよく見ましたが?
エノ ライブはよく観に行ったけど対バンってあんまり観れないんだよ。自分のライブショーを頑張らないといけないからね。まあ初期だとストライクスと2バンドでクリスマスパーティした時は楽しかった。他に古いアンプやドラム持ち込んでライブする人が周りに居なかったから影響受けたな。あとニューヨークからラウンチハンズが来た時に前座したんだけど、それは素晴らしかった。ギターのマリコンダとテスコのピックアップがトラッシーで最高に雰囲気あるトーンが出せる、なんて話で盛り上がった。それからサックスの人が飛び入りでセドリックスでバリトンサックス吹いてくれた。たしかBossとかJustinだった記憶が。
ダイブは流行ってたかもしれない。客席が空いてるとらやりずらいけど。ハードコアやスケーターっぽいバンドが対バンだとお客も上手かった。ダイブからフワ~っと群衆に乗っかって皆んなで又ステージまで送る。もう一回飛び込んでは送って降ろす。あんまり解ってないヤツだとコーフンして暴れちゃってね、エンジニアブーツで下の人の顔蹴ったりして揉めるんだよ。
ー マニアックなサーフィン、インストだけじゃなくて、わかりやすいR&Rのカヴァ選曲にも感心します。聴き慣れたR&Rクラシックをセドリックスが演奏すると、より凄い曲に聴こえるんですが、アレンジで気にしてることってありますか? 天然? あとオリジナルの作曲で気を付けてることってあります?
エノ やはりチャックベリーとジェリーリールイスがサーフィンに興味持つよりもずっと前から好きなので。バディーホリーやリッチーバレンスもいいね。リトルリチャードとか。R&Rは最高!知られてないアーティストの素晴らしい作品も多いよ。商業的にヒットしてなくてもさ。まあ先人の作った良いモノは分け隔てなく聴きたい。ところでジーンビンセントのバンドが途中からフェンダー製の楽器を持って8ビート(これは和製英語)ノリになっていくでしょ。例えばセイママとか。そういうノリに影響受けたティーンバンドが沢山居たと思う。特にミッドウエストのミネソタやウイスコンシンなんかに。かっこよくて真似し易い。そういうのを聴いてアレンジの参考にしたかな。R&R的なルーツを感じさせるサーフィンバンドはやっぱりいいね。それが微塵も無い進歩的なサーフバンドもいるね。リバイバル系になるとそっちばっかり。実はベンチャーズと英国のシャドウズもR&R臭が薄い。これは大人っぽさからくるものなんだけど流石に曲もアプローチもいいよね。
オリジナル曲は意図的に何かに似てる曲にしてる。つーか、そういうの以外やりたくない。パクリと言わずインスパイア系とでも呼んでください。正直なところ、ライブでは好きな曲のカバーやってる方が気分はアガるね。
ー エノッキーはめちゃくちゃギター上手いけど、いつから演ってんですか? スペシャル好きなギタリストは?
エノ 13歳頃からフォークギター。下手だったよ。ローコードをダウンでジャーンて弾くのがやっとだったけど楽しかった。中3頃にバンドやるんだけど、あまりに弾けないので諦めてベーシストになった。ディープパープルとかビートルズ、KISS、ナック、クイーン、ダウンタウンブギウギバンド、キャロルなど色々。高校の時はジョニーサンダース、ラモーンズ、英ビートバンドなんかのカバーやるバンドのベーシスト。ベースのバンドは幾つもやったよ。19歳頃に八王子の阿部善四郎君(大学の先輩)にギターでブルースのスケールを習った。マイナーペンタやメジャーペンタスケールでカンザスシティ、ホンキートンクウィメン、スウィートジェーンなどを彼の実家の地下室で長時間セッション。その善ちゃんのお父さんの工場でバイトもしてたな。それからファズ買ってカラテメンてバンドでストゥージーズやMC5みたいなのやってたけど、最後の方は村八分みたいな感じになった。そしてセドリックス。それを10年程やって壁に当たった30代の時にギタリストの星川薫さんにダウンアップで弾くやり方など3年ぐらい習った。師匠だね。徳武"Dr.K"弘文さんのバンドで弾いてたリズムギターの職人みたな人。寺内タケシ&ブルージーンズにもいた事があるし、ソウルのバックアップギターが本当に素晴らしい。それからは又独学に戻るんだけどyoutubeでも教えてくれる人が沢山いるし、ライブハウスで老若男女問わずギター上手い人には質問したりしてる。とにかく今もしつこくやってるね。
好きなギタリストは10代の頃はチャックベリーやカールパーキンス、高校ぐらいでジョニーサンダースかな。カントリー系は一杯いる。ビリーバード、アーサースミス、ロイランハム、グラディーマーチンなど。ここ15年くらいはエルドンシャンブリンを筆頭にウエスタンスウィングのギタリストを研究してる。その繋がりでビッグバンドジャズのフレディグリーンやもっと古い人達も。ライブを観てる時はギターよりもドラマーやベーシスト、ホーンやピアノ奏者なんかを注視してる事が多い。ギターでは出来ない太いグルーヴを出せるから憧れてるんだ。
ー 愛用の機材(ギター、アンプ)も教えてください。ヴィンテージですか?めちゃイイ音ですけど?
エノ ギターはFender Jazzmaster。いやこの時はストラトだったかな?当時はブラックパネルのFender Bandmasterというアンプに12インチのスピーカー2発入りのキャビネットを繋いでいた。現在はJBLの15インチスピーカーのD-130が1発。それからFenderのリバーブボックス。これはサーフトーンのキモだね。弦は最初はごく普通の0.10~0.46サイズのエレキ弦を使ってたんだけど、92年頃からフラットワウンドというツルツルで太めのやつ張ってる。神戸のエルカミーノスの宇賀田さん(元ジャン&ディーン・ファンクラブ)に薦めてもらった。3弦はアコギみたいな巻き弦なのでチョーキングはできない。音もぜんぜん伸びないし倍音も少なく地味なんだけど、アンプの調整でいいポイントにハマると最高のトーンを出すんだよ。とにかく機材はずっとフェンダーです。弦はツアー中にどこでも手に入り易いダダリオ。
JB 自分はLonghorn Bass。Dan ElectroのがオリジナルだけどそれをカバーしたJerry Jonesのが仕事が丁寧そうなので、それを使ってる。Longhornな理由は中が空洞になってて軽いから。
ジャ オマケでセドリックスで使用していたドラムも紹介しておこう(笑)。最初期はPearlのChallengerシリーズの20″×12″×14″(年代不明)レッドスパークル、次にGracy(early60s 国産メーカーだよ)の20″×12″×13″×14″ブラック、一番長く使用していたSlingerland(mid60s)22″×13″×16″ブラックダイヤモンドパール、最後期のRogers Holidayシリーズ(early60s)22″×13″×16″レッドスパークル。スネアとかスタンド類は色々使ってたけどよく壊れたなー、当時のセドリックスは動きが激しかったし、機材も古いやつだったから。シンバルはジェリーがスグ火をつけるもんだから、クズみたいなシンバルしか使えなかった(笑)。
ー エノッキーは音楽、レコードのこと超詳しいじゃないですか。僕みたいなレコード屋視点じゃなくて、ミュージシャン視点で研究してるのがとても興味あります。幅広いし。小さい時から何がきっかけでのめり込んだんですか?
エノ ミュージシャン視点もあるけど、基本は皆んなと同じ音楽ファンのリスナーだよ。小さい時は歌謡曲聴いてたかな。祖父母が家に居たので懐メロとか。家にあったレコードは二葉百合子の岸壁の母、黒田節など。そういうのしか無い!唯一のバタ臭い盤は母親が上野松坂屋デパートに務めてた昭和30年代に買ったらしいビングクロスビーのホワイトクリスマスの10インチ。それは小学生の頃に擦り切れるぐらい聴いた。ノリノリのXマスソングが心地良かった。その後の洋楽も映画音楽が中心だったね。昭和の子供はそんなの多いよ。大脱走のテーマとか。そしてアメグラのサントラ聴いてオールディーズ。ロカビリーにドゥーワップ。流行りのロックもラジオで。パンクが好きになったり、ブリティッシュビートバンドや古いR&B聴いたり。しかし、やっぱりセドリックスのネタ探しみたいな事をし始めてから幅が広がったのかもしれない。地味なインストのスタンダードな曲を沢山聴いたよ。ムード音楽その他のコーナーにある〇〇楽団みたいな安いレコードをよく買っていた。ポルカ、ワルツ、ラテンetc.
ジャンルなんて関係ないっていうのは正論だけど、それがあった方がわかり易いとも思う。もしレコード屋さん行って大量の盤がABC順で並んでたら、または何も書いてなかったら絶望するでしょ!?だからジャンル分けは親切だし有難い。でも後で自分で再構築するのも大事かな。識者に言われた通りに聴いてたらバカになっちゃうよ。何かのジャンルど真ん中もいいけど、その狭間の人達がまたタマラナイよね。混ざってたりカスってたりして。邪道にこそお宝あり。あとサイドマンに注目!特にローカルなスタジオミュージシャンが食ってく為か知らないけれど意外な異ジャンルのバックを務めるでしょ。そーいうの好きだなあ。だから昔のアメリカ音楽などはジャンルじゃなくて地域やレーベルで分けていく方が納得する部分はある。これはメンフィス系、これはハリウッド、これはテキサスのヒューストンとか。カントリーやソウルやガレージバンドが全部同じ共通のドラマーだったりする事が普通にあるもんね。理由はまず近所に住んでたからでしょ。その人に興味持っちゃうとレコードの買い方も選択肢が増えてくるんだよ。あとパンクバンドとクラシックの交響楽団の両方に在籍してるみたいな人も居るよねきっと。自分も先入観や偏見がバリバリあると思うんだけど、そういうのをぶっ壊してもらいたいな。そこには期待し続けるね。
ー 過去アメリカ・ツアーは何回くらい? 欧州もありました?
エノ 最初のアメリカツアーは確か92年暮~93年だったと思うがその後に何回行ったかは忘れてしまった。フランスの南部やスペインとか。オーストラリアや香港にも行った。コロナ禍のせいもあるけど最近行けてない。また呼んで欲しいなー。
JB そうですね!自分ももう一度みんなでヨーロッパ行きたかったなー
ー 米国のノートンや、エストラス、ヒルズデールからシングル、EPを出した経緯は?やっぱツアー先でのライブの反響で?エストラス主催のガレージショックも出てましたよね?
エノ 新宿の輸入盤店バーンホームズによく行ってたんだけど、店主の吉原さんが取引先の米エストラスから日本のバンドのオムニバス盤用の音源を頼まれた。それでカセットレコーダーで録音して提出した1曲がコンピの7インチ盤に入った。他はアメリカンソウルスパイダース、スーパースナッズ、ビヨンズで各1曲づつ収録。その後バーンホームズ主催の1+2レーベル用に吉原さんが青梅鉄道公園の保養所みたいな所を借りて自らオープンリール録音してくれた音源があったんだけど、エストラス(デイブ・クライダー)にも聴かせたらしい。そしたら気に入ったらしく、それも欲しいという。なのであげちゃった。その4曲が1stの7インチになった。サンダーストラック!その7インチを売りながら初西海岸ツアーをしてる最中に、企画もしてくれたファントムサーファーズのメンバーでヒルズデイル主催のジョニーバートレットとリリースの約束。同じ時にニューヨークに飛び、ノートンのビリー&ミリアムに会い、こちらもリリースの約束。この時は頑張ったね。同じ年の春にガレージショックに行ってステージでセッションしたけど、セドリックスで出演は翌年の94年だったと思う。
ー 故ビリー・ミラー(ノートンレコード、A-BONES)と当時会うたびに「セドリックスは元気か?」って聞かれました。何かとアホで明るく元気な時のビリーと、奥様のミリアムとの思い出があれば。
エノ 最初に会った時はニューヨークの街中の公衆電話から電話してアポをとった。雪が降ってたな。たしか最初はミリアムが出た。めちゃくちゃな英語でこちらが熱い思いを伝えたら「ライブやりたいか?」って聞かれた。少し会うだけで良かったんだけど、もちろん「イエス!」と答えた。「じゃあ30分後に又かけてね」。こんなやり取りを3回ぐらいした後「やったぞ、遂に君たちをいい企画のブッキングに加えてもらった。明日〇〇に来てね」となった。驚いたよ、突然現れた見ず知らずの日本のバンドをブッキングしてくれるなんて。それからライブをして、彼らの家でクリスマスパーティーに呼んでもらった。その後もニューヨークに何回か行っては家に泊まった。古いレストラン連れてってもらったり、犬の散歩したり、レコーディングしたりと良い思い出があるよ。ミリアムとビリーの運転で渓谷みたいな所を通って遠くまでライブに行った事とか、Aボーンズとカナダに行った事とか。2人には凄くお世話になった。
ー レコードの買付でN.Y.周辺に行くと、ノートン・レコード周辺のレコードディーラーやラジオ局(WFMU周辺)DJたちがセドリックスを絶賛する声をよく聴きます。実際現地でライブしてお客さんの反応はどうでしたか? 西のL.A.、SF周辺や、 欧州での反応はまた違う感じですか?
エノ 反応はだいたいどこでも同じ。それが判って良かったよ。人間てあんまり変わらないんだなと。ただフランスの田舎でショウの後に地元の女の子から「英語の曲を歌ってくれて有難う。ここではそういうバンドが全然来てくれないの」と言われたのにはハッとした。俺たちの母国語じゃないのにね、発音も怪しいしさ!やっぱフランス語のロックだと英語の感じとは違うのかな。例えばリトルリチャードのお喋りに演奏をつけたらそのまんまR&Rになりそうだもんね。スペイン語はけっこうR&Rに合うかも。もし日本の民謡を英語で歌ったらどうなるのか?言葉の持つシンコペーションもあるからアクセントの位置が変わったりするな。その点インスト曲は何も気にしなくていいから楽だね。
ー 海外ツアーで会った、対バンした、ライブに観に来てくれたミュージシャンや有名人っています?
エノ 自分的な有名人には会ってるけど、世の中的にはどうなんだろう?サンフランシスコで会ったサーフバンドのハワイアンシャツ着た眼鏡のオジサンは「昔デッドケネディーズってバンドでベース弾いてたんだよ」と照れながら言ってたけど、そーいう感じの事って多い気がする。世界は広くてもこの手の世界は狭い。アレックスチルトンがニューオリンズかメンフィスのライブの時に来てくれたらしいけど会えなかったな。だから憶えてる(笑)。NYのライブではキムフォーリーが司会してくれたよ。
ー 海外ツアーで危機一髪だったエピソードは?
ジャ 初めてアメリカツアーした時に、(アメリカの)国内線のチケットを無くした時かなあ。みんな飛行機で先にラスベガスに行っちゃった後、ニューヨークからサンフランシスコへ戻るときに、クリスマスシーズンでアムトラックのチケットの予約が2日後のワシントンD.C発のしか取れなくて、極寒のニューヨークの駅で朝まで野宿した時。
でも、その後行ったワシントンD.Cの航空宇宙博物館で見たゼロ戦は良かったよ。思い出すとさみしいクリスマスだった。やたら寒いし。
あとゴー・デビルスとツアーしてた時に単独で自動車事故起こした時も結構やばかったよ。車が何回転かスピンしてコンクリートウォールに激突したんだけど、深夜の誰も住んでないようなハイウェイ上だったから、他の車に巻き込まれずにみんな無事だった。
車がくるくる回ってる時って時間がゆっくり流れて、夜なのに後方の道路の先の方まで意識が覚醒して、今思い出すとマトリックスみたいだったな(笑)
でも、モモちゃんのコーヒーはこぼれてなかったんだ。つまり、そのコーヒーを中心に車はスピンしてたってことだよね。すごいわ(笑)。ホントに死ぬかと思った。
ー 海外でもう一度ツアー or ライブしたいところは ?
ジャ うーん、どこだろう? ホテルからライブ会場へ歩いて行けるところが良いかな?
そういった意味で、スペインのベニドームは最高だった。いっぱいバンドも出たし。
もちろんどこもみんな良かったよ!
あとは、エノッキーとうまいブリトーを食べに行きたいかな(笑)。
ー ジェリービーンが一時、L.A修行に数年間行ってたと思いますが、行く前と帰ってきてからバンドの変化はありましたか?
エノ けっこう長くLA在住だったけど数ヶ月に1回帰国してライブもしてたのでバンドの変化はなかったよ。彼の居ない時も鈍らないようにジャッキーとは活動を続けていたし。帰国後に動員は多少増えたかもしれないけれどライブの回数は減ったかもね。セドリックスの最盛期はジェリビンの渡米前ころかな。
ライブでドラムやアンプにマイクを1本も立てない、という生音ライブを実験的に1年間した事がある。通算で50回以上。たいていライブハウスのPAの人が嫌がったけど、それに合わせて小さい音でロックするのは楽しかった。大きなホールでもしたっけ。
ジャ 2人で演奏するって、思いのほか難しかったよ。やる曲もバック・オーウェンスなんかのカントリーやウェスタンスウィングの曲が多くて、普段セドリックスでやらないようなアレンジだし。エノッキーのボーカルを聞かせるのがメインだから、あまり爆音では叩けない。ちょうど良い音を見つけるのにかなり苦労した。おかげでスティックコントロールを否応なしに意識せざるを得なくなって、当時行き詰まってたプレイに幅を持たせることができたのかなって思います。
ありがとうエノッキー!
JB 確か1996年頃から2004まで。最初は「1年間だけ行かせて下さい」ってお願いして行かせてもらった感じだったけど、1年行っても近くの道を覚えれたくらいで。気が付けば7年程行ってた。
行ってる間しょっちゅうはライブはできなかったけど、その分アメリカのバンドを日本に呼んだり、自分達もUSツアー組んだりしてなんか橋渡し的なことできればなとは思ってた。
ー そのアメリカツアーを編集した凄いビデオを持ってますが、あの時に参加してたタッカーや、今回のライブアルバムで参加してたウサミ君が参加した経緯は?
エノ まずウサミーにはゲストで入ってもらった。短い期間だったと思う。だからこの録音は凄くレアだよ。タッカーはその後だいぶ経ってからなんだけど自分で入りたいって言ってきた。家は近くに住んでたけど初対面のよく知らない人だったし最初は断ったんだ。3人でやってるからって。そしたらあまりに熱烈に頼むもんだから折れてやってもらう事にしたんだ。
JB そーそー、初めてJAMスタに練習入った日のこと憶えてる。タッカーは全員癖っ毛の俺達に合わせるため前日に床屋行ってアイパーを当てて臨んだらしい!(笑)。
そして誰よりも先にスタジオに入って、ドアを開けると自分のキーボードを拭いていた。まるで旅館の番頭さんが玄関のカウンターを磨くように!
ー 日本も各地でライブしてると思いますが、印象に残る地方ってありますか?
エノ 地方というかライブスポットは個性的なの多いよ。酒田のミュージックファクトリー、八戸Roxx、岡崎funky good timeとか。ええと滋賀のとこは何て名前だっけかな?もっと色々あるよ面白いところ。初めて行く場所は期待する。ちょっと変な方が嬉しいな、ちゃんとした所よりも。それでいて人が優しくて居心地がいいんだよ、そーいうとこは。
ー R&R、ロカビリー、ガレージ系だけじゃなくて、パンクやオルタナ系、はたまたMODS、レゲエとか、ジャンルレスでお客さんがたくさんいるのが珍しいと思います。ご本人はどう感じてますか?何か意識してることってあるんでしょか?
エノ 例えば親戚や仕事先の音楽なんてよく知らないオッサンが聴いたらジャンルの違いなんてそんなに判らないと思う。でもコレは軽快でいいな、なーんて思うかもしれない。そーいう基本的なところはサーフとか趣味っぽい音楽やってても突いていきたいと思ってる。各音楽ジャンルの専門家の、まあアスリートみたいな人達って案外同じ事考えるるんじゃないかな。どうだろう?
ー そういえばウチが企画したフガジの2回目の来日公演で対バンをしてもらいました(’93年?渋谷クアトロ)、覚えてます?ボクの感覚では核心的なところで同じ感覚を持ってると思ってブッキングしたんですけど、違和感ありました? フガジのメンバーは日本で一番おもしろいバンドだと感心してましたが。
エノ フガジの前座やらしてくれて有難う!嬉しかったです。ライブ後に打ち上げを任されて、指定の居酒屋にフガジを連れて行った。そしたらメニューが写真無し。拙い英語で焼き鳥とかいっこづつ説明したんだけどイアンマッケイがベジタリアンで動物性のモノが食べれないの。しかも完璧なビーガン。仕方ないから冷奴をすすめたら、トウフは嫌いで食べれないんだって。食べれるものがマジで枝豆ぐらいしか無い。真面目な人で「大丈夫だよ、心配するな」って優しく言ってたけどあんなハードな演奏して腹減ったろうな、とめちゃ心配になった。
ー ライブは毎度凄まじいアクション・パフォーマンスをしてますが、怪我してないですか、特にジェリービーン(笑)あと演奏スタイルで影響受けた人って?
エノ 最近はフリをしてるだけなので自分は怪我しません(笑)
JB 自分は専属のスポーツトレーナーに毎回ライブ後診てもらってる、かなりの運動量なんでね。専属のセラピストに全身マッサージもしてもらって色んなメンテナンスをしているよ。
ラモーンズのDDラモーンから受けた影響もあるけど、10代の頃からThe JAMのブルース・フォクストンに痺れてた。あとゴッツガッツの時の谷口くん。バク宙はピラミッズ映画「ビキニ・ドラッグ」でやってるのを見てかなり練習したんだ。できなかったけど。
ー「ミザルー」でシンバルに火をつける演出してる時って、やたらとドキドキ興奮させられるし、その奥でたたずむジャッキーが神々しく見えます(笑)。映画「モスラ」でジャングルの神様が登場みたいな。プリミティブ、エギゾチックな雰囲気の中でやるのはどんな気分ですか?またどうやってあのアクションは生まれたの?
ジャ ぼくはアレがホントに嫌いだったよ(笑)、シンバルが死ぬし。でもジェリーは容赦なくZippoオイルをかけてくる。悪魔のような表情なんだよね(笑) それでも笑顔で演奏しないといけないのが辛いところ。
今思うと、みんなの印象に深く残ってるのであれば、あれはあれで良かったかなって思えるけどね。
JB そーそー、俺はそのこと知ったのは何10年も後だったよな!てっきり歓んでくれてると思ってた、シンバルも鉄だから焼かれて強くなるんだと思ってたし、申し訳ない!
ー エノッキーはソロや、カントリー、ウェスタンのバンドとかもしてますけど、セドリックスの時と表現の仕方というか、意識した演奏の違いってありますか?
エノ カントリーの時は身体をゆするとダサいかなと思い、あんまり動かないで弾いてる。逆にけっこう難しいよ。あとサーフやカントリーの時はシャッフルも含めて跳ねないノリだけど、ウエスタンスウィングの時はスウィングってだけあって跳ねるノリで弾いてます。歌い方もちょっと違う。でも最近は全部が混ざってきちゃったかな。同じ人がギター弾いて歌ってるんだから仕方ない。サーフィンもジャズもソウルもファンクもパンクも頭の中では繋がってるからね。
ー ギターウルフのSEIJI (アンノくん)が、エノッキーの事を絶賛公言しています。逆に彼のことどう思います(笑)?
エノ アンノちゃんとは40年前から友達なんだ。まだセドリックスもギターウルフも無い頃。彼の方が年上なんだけど、あのスタイルで続けてるのは驚異だね。そういや、こないだファントムサーファーズのマイクルーカスが来日して一緒にバンドやったんだけど課題曲がギターウルフのレッドロカビリーだった。覚えなきゃと思ってちゃんと聴いてみたら曲の構成が結構難しいの。ぜんぜんフツーじゃない。でも歌詞は「赤い~赤い女とロカビリー、レッドロカビリー!」「ギター!」、「ローリンローリン!」だけ。超簡単!そしたらマイク達もやっぱり曲が覚えられなかったみたいで基本のリフは残したものの構成を勝手に定型のブルース進行に変えちゃった!それに歌だけを日本語でのせたんだ。かなり無茶苦茶でしょ?でも不思議と違和感がなかった。目から鱗だったな。曲の構成が違うものになっても同一の歌詞やフレーズを連呼すればソレに聞こえちゃう。現代美術のコンセプチュアルアートみたいな衝撃。そういうのを誘発させるギターウルフは面白い。とぼけたロケンローの深層にART的インテリジェンスを感じさせるという・・・。そして熱量の半端なさはご存知の通り。絶対に何かの先駆者だと思うね。
ー 過去のレコーディングで印象に残ったところは? 苦労したことや、工夫したことってあります? 確かどっかの体育館でしてませんでした?
エノ 体育館というのは、たぶん他の質問でも答えた青梅の保養所みたいなところだね。東京都の青年の家という施設のレクリエーションホール。敷地内で宿泊やキャンプもできたはず。板張りで講堂か体育館みたいな広いところ。1階で窓があって周りに雑木林が見えたような記憶が。ブラバンの練習や会社の研修なんかに使われていたらしい。通常の録音スタジオと違ってホールエコーが効いてて良かったね。そこは登山口というかハイキングコースもあって自然に囲まれた気持ちのいい場所だったよ。
録音で印象深いといえば三宅裕司が司会のTV番組(イカ天ではない)で使うジングルや番組内のBGMをバイトでレコーディングした時かな。そこは四谷にある普段は借りれないような高級スタジオなんだけど、スイッチ1つで壁が回転して岩張りみたいになるの。忍者屋敷かよって(笑)。初対面のプロデューサーの人が最高でね、ジャッキーのノーミュートの赤ラメ色の古いドラム見た途端に「これはマイクの数を少なくして遠くから録りましょうね」なんて言うんだ。そして例の岩壁の部屋でドラムに向けてマイク3本を何メートルも離したところから狙うんだよ。ギターとベースも同じ部屋に入れてアンプ類はドラムに向けて対角線上に配置。それから、せーので同時録音。それで30秒以下ぐらいのサーフなフレーズを俺たちに幾つも作らせては録音するわけ。「あと4秒短く演奏できます?」「やってみます」「あー、いいですねえ!そしたら次いきましょうか」てな具合に。プレイバックして聴かしてもらったら全曲に部屋鳴りが入ってて驚いた。どうやら大袈裟にやった方がいいらしい。昼休みの時間に仕出しの弁当食べながら聞いたら普段は北島三郎など演歌のエンジニアとプロデュースやってる人で、実はビーチボーイズの大ファン。彼らが初期に使ったLA辺りの海沿いのスタジオに行った時の話をしてくれた。「そこは狭くて古くチープな機材しかないんですが雰囲気が最高なんですよ。外はすぐ海だし。音楽って機材なんかより気分の問題が1番大切なんですよね~」だって。なんだかいい事聞いたぜ! そして、その日のギャラ50万円を元手に我々3人は初のアメリカに3ヶ月間行くのでした。
ー 20数年前のレコードが売れなくなったCD全盛時に、ウチのレーベルからアルバムを出したいオファーをしたところ、当時はシングル盤志向ということで断られたことがありましたが、今でもシングル盤へのこだわりはありますか? 個人的に集める方も、リリースする方も?
エノ セドリックスに関しては今もそうだね。シングル盤て混沌とした周波数も入ってて音が断然いい。サーフィンには完璧な媒体でしょ。それに自分はLP世代だからその前のシングル盤時代への憧れもあるよ。いつかジュークボックスを買って、好きなドン&デューイやエバリーブラザースのR&Rのドーナツ盤と一緒に自分達のレコードも入れちゃうという夢があった(まだ買ってないけど)。もちろん当時は周りの人皆んなにCDやLPをすすめられたよ。でも美術学生やってた自分が思った事はね、アーティストが作品を発表するのに油絵でも写真のコラージュでも版画でも自由なわけじゃない? それを音楽だけ、その時の業界の売れ線に合わせなくてもいいよなーと思っていた。商業音楽としてのアメリカンR&Rが嫌いな訳じゃないし多くの人が手に入れ易い媒体が最善なんだろうけどさ。せっかくDIY的に好きな事やってんだからブレずにやりたい事をやりたかった。結局は妥協してその後にアルバム出したり、ノートンと交渉して10インチ盤でOKしたりしたけどね。でもハードコアなサーフってのは絶対7インチでモノラル録音。A/B面で2曲ってのもイージーで好きだ。アルバムの曲順て飽きるし、かといってCDでシャッフル再生というのもなんだかな。要らないモノも入ってるからね。コース料理より好きなモノだけ単品でオーダーしたいわけよ。焼き鳥屋の鶏皮タレが気に入ったらそれだけ何度も頼みたくない? あ、ねぎまとレバーも食べたいか! 今はサブスクで1曲づつ聴く人が増えたから、ある意味シングル盤的な聴き方が復活した感もあるね。一方、音的な事だと60s以降のカントリーなんかはCDも有りかな。さっぱりしていてけっこう良い。でも初期パンクとDoo Wopにデジタルは合わないね。雑味の良さが無くなっちゃうからかな。
ー 今やジェリービーンはイラストレーターで世界的に有名だけど、昔から描いてるすごく丁寧でカッコいいセドリックスやイベントのフライヤー、Tシャツとかって、今のベースになってるの? それきっかけでお仕事がきたり? 何か印象的な仕事ってありますか?
JB そうだね、自分の場合はバンドと仕事が繋がっている。ジャケットやフライヤーなんかも描かせてもらったし、自分達も出演したスペインの『DRACULA CARNIVAL』ってガレージバンドフェスのポスターもしばらく描かせてもらってたさ。
ー 昔のセドリックのフライヤー、ポスターって全部持ってる? くれませんか(笑)? もしくはそれだけを全部まとめた完全本出しませんか?前に出てた分厚い本ってちょっとしか掲載されてないし?
JB あげます。けど全部は持ってないと思う、今みたいにデータでも残ってないしね。いつか音楽に関する作品だけまとめた画集を出そうと15年前から思っています。
ー 京都 → 東京 → L.A. →大阪 → 東京 と人生の節目節目で移住しながら、バンドとアーティストを両立させてる正に名前通りのロッキンな人生だけど、充実してますか(笑)? 楽しい人生を送る秘訣は?
JB ずばり、セックスとドラッグとサーフィンミュージック! …ということで。
ー 今年のハロウィンボールで、ジャッキーが復帰して大反響だったですが、久々一緒に演ってどうでした? 今のミラクルちゃんが加入後の変化って??
エノ 良かったよ! あの頃を思い出した。20年以上一緒にやってたから。しかし微妙なタイミング合わせるのは大変だった。ジャッキーの場合、パルスは一定なんだけど野球の変化球というかチェンジアップみたいな緩急おり混ぜてくる独特のグルーヴがあり、それがあのスピード感を生んでいると思う。忘れてたので、それについていくのが大変。週1でスタジオ入ってた頃はこっちも全て自然に全球打てたんだけどね。でも久々に合わせたから、この真剣勝負感がおもしろかった。ミラクルは又違うタイプで結構こちらに合わせてくれるドラム。この人は実は色々なバンドに在籍していて、自分よりも場数を踏んでいるようなベテランだからなんとも頼もしい。ドラマー変わってもほとんど同じ曲やってるので変化は感じてなかったけど、ジャッキーと10年振りに演奏したら又何かグッときたね。
JB 確かに! ジャッキーは10年前の当時のままで、自分とエノッキーは少しゆるめのスピードになってたからそこに合わせるのが意外と必死だったかも。最近ジャッキーは筋トレにハマってるらしく、それが関係してるのかドラムもむしろ前よりマッチョだったよ、おかず多めで(笑)。けど面白いもんで自分でも体が自然に昔のアクションで動いていて「これがセドリックスだー!」って実感した。
ジャ 初期やってた曲しかやらなかったので、体に染み付いてるんだなって思った。当時は毎週国立(こくりつじゃないよ!)のエアガレージで練習してたんだ。当時のエアガレージにはMAD3とかゆらゆら帝国とかいろんなバンドが入ってて、MAD3のキョウちゃんの後に入ると、よく備え付けのスネアのヘッドが破れてた。ヘッドの張り直しもしないテキトーさ(笑)。だがそこがイイ!みたいな。
ー ジャッキーのドラミングって、タイトで独特なダイナミックさがあると思うけど、ルーツは? いつからやってるの? 憧れのドラマーは?
ジャ 最初は中学の時かなあ。当時レインボーとかジューダス、オジー・オズボーンとかハードロックを中心に聞いてて、コージー・パウエルやトミー・アルドリッジの真似事みたいなのを座布団で懸命に練習してたよ(笑)
高校に入ってパンク/NW聴くようになって。ピストルズはコピーがラクだったから楽しかった。
大学に入ってスカ/レゲエとかを聴くようになってだんだん録音状態の悪い生っぽいドラムスゲェとなって、サーフ/ガレージはその後でした。
セドリックスのドラムスタイルは、ランブラーズ、エイドリアン&ザ・サンセッツのドラマー、エイドリアン・ロイドが元ネタなんじゃないかなと思う。セドリックスで多用するスタスタスタタタ♪というフレーズなんかはBreakthroughをテキトーに真似したのが始まり。最初は誰だってただのパクリなんだよ(笑)。
憧れのドラマーはいっぱいいたけれど、音楽から離れてしまった今でも憧れるドラマーを一人だけ挙げるとすればバディ・リッチかなあ。ビッグバンドでも小編成でも圧倒的なタイム感とタッチ感、存在感というか威圧感。
ー 残念なことに、全国の若いセドリックス・ファンはジャッキーのあの精細で爆発的なドラムミングをまだ見たことがないって方も多いと思うけど、今回ハロウィンで出演したことによってそういった方々から何かリアクションはあった?
ジャ 会場では、久しぶりに会うミュージシャンや友人たち、初めて観てくれたお客さんともお話しする機会があってありがたかったです。子供の頃に兄弟で観て、大人になってまた観に来ました!って当時のサインを持ってきてくれた兄弟ファンもいました(泣) 一緒に記念写真を撮ったりして。セドリックスやってて良かったなって。
ー メンバーとして面白かった、印象に残るジェリービーンのMCは?
ジャ 「見ているあの娘も、股下大洪水さ!(だっけ?)」は面白かった(笑)。
JB ハッハッハ!言ってたね!今思い出した。
ー 今回のライブアルバムをご自身で聴かれて、どうでした ? 記憶にありますか?
エノ ぜんぜん記憶になかった。
このライブ録音はスナップ写真みたいに素直にあった事を切り取ってるからいいね。時間が経ってるから他人事みたいに聴けてよかった。前にもレコード化の話があって、一回お蔵入りになった音源でしょ? その事だけ憶えてるけど内容は忘れてたなあ。
JB 当時週3くらいライブ入ってるときもあったから演奏はバチバチでしたが、まだ若かったので自分のMCがなんかオラオラしてて恥ずかしかった。
ジャ 今回のCD発売にあたってウサミくんがいる音源を聴いた時は「リヴィエラスみたいじゃん!」ってビックリ。曲もいくつか被ってるし。当時のライブのことはあまり覚えてないよ。いつも酔ってたからなあ。
ー 今回のライブアルバムの編集では収録時間の関係で大分MCを削ったけど、曲間の大分面白いステージトークもセドリックスのエンターテイメントの大事な部分と思います。ネタ合わせしてるんですか(笑)?さだまさしみたいにそれだけ編集した作品もだせそうですが(笑)?
JB 当時はネタ帳をみんな作っていて、3人でよく公園なんかでネタ合わせしたりしてた。“オチ”の部分でよく意見が衝突し、つかみ合いになることなんかもあったよ。今思えば懐かしいなあ。
ー 皆さん信じられないくらいピチピチ若く見えるけど、R&Rしてるから? 秘訣教えてください(笑)。
エノ もう完全にジジイだよ。10代の頃からライトニンホプキンスとか爺さんに憧れてたから全く構わないけどね。脳内は若い自信あるぞ、いま小学生ぐらい。早く中2レベルになりたい。
JB 内緒ですが、自分は年3回は韓国に行って注射とか打っています。
ー 夜の現場ではロックンロールの高齢化が言われて長いけど、若いファンやお客さんにメッセージありますか?
エノ 高齢化して良かったと思う。自分が若い頃は年寄りでR&R好きな人は稀だったんで。
相変わらず若い人で好きな人もいるし幅が広がっただけと思う。なので老いも若きも安心して好きな音楽を聴き続けよう!
ー セドリックスをまだ観たことない方へと、オールドファンの方へ今作の件も含めてひと言!
エノ ライブにも来てほしいな。俺たちの演奏は生で観るとけっこういいらしいよ! オールドファンの方はこのアルバム聴いて思い出してちょーだい。
JB 全く同感!
ー 長いことありがとうございました~~!
エノ 有難う御座いました!!!
JB ごっつあんです!!!
ジャ 今まで良い思い出をありがとうございました!それにしても普通じゃ経験できないことが多すぎた(笑)。
>>>>> おまけ)今作ライブ音源提供の Jimbo (タイタンズ、ファイアースターター)君へのミニ・インタ
ー 今回のライブアルバムのDATテープ音源の提供ありがとう!あの時代、オレがちょこちょこ東京に行ってた時、シェルターかどっかでJimbo がなんかのバンドの録音をDATでしてるの見て声かけて、今度のジャムのセドリックスの録音を頼んだ記憶があるんやけど、違った?いつも酔っ払ってたから定かじゃ無いけど(笑)
Jimbo(以下:Jin)改めましてリリースおめでとうございます!実は録った経緯を全く覚えてないんです…すみません!大枚はたいてレコーダー買ったので、自慢半分で録りますよってアピールしたのかもですね。だとしたらイヤなやつだなー(笑)。
ー セドリックスとの交流の経緯は?
Jin セドリックスの皆さんは東京…じゃなかった、ハワイ造形大学の先輩だったんです(笑)。お三方とも既にかっこいいバンドをやっていたので、あの先輩たちが集結した!と最初から超期待、初ライブ最初の3秒で確信に変わり、以降追いかけまくりました。初めてJAMに出た時の告知チラシを持ってるのが密かな自慢です。
ー 今作が一体いつのライブか思い出せなくて相談したら、国立図書館まで行って昔の雑誌を調べてくれたりホント感謝してます。当時のセドリックのライブで印象に残ってることってある?
Jin 最高のライブを常に更新していたことに尽きると思います(今も)。これ以上はないだろうと思っても毎回上書きされて怖いくらいでした。その圧倒的な魅力でガレージシーン以外の人たちも巻き込んでいくさまも痛快でした!
ー タイタンズ、ファイアースターターのドラマーとして長いことシーンで活躍しながら、カメラマンとしてもセドリックスの4枚のシングルとか、TWEEEZERS、スーパースナッズ のジャケ写真撮影とかででお世話になってたけど、撮影は趣味? プロ? めちゃ美味いよね?
Jin 大学で写真を専攻したのですが、一度個展やって限界感じてやめました。最近はSNSに写真上手い人いっぱいいるので楽しく拝見してます。一番好きな写真家は柳沢信です!
編集後記
てな具合でメールでやりとりしながら大笑いとフムフム感心の連続で自分が一番楽しめた感じでした。皆さんもお楽しみできましたでしょうか? メンバーの人柄もよくでた、あったかい内容のインタビューになったかと思います。これ見たら次のライブに行きたくなったでしょ?未体験の方は勿論、しばらくご無沙汰の方もセドリックス聴いて、楽しんで若返り人生をエンジョイしましょう、ロックンロー!